私たちは、問題を悩むために生まれてきたのではありません。
問題を解決するために生まれてきたのです。
- 問題は悩むためにあるんじゃない
- 結果には必ず原因がある
- 法則は魂を成長させるための”仕組み”
- 人は神様のつくった最高傑作
- 自分に無いものは必要のないもの
- 追伸 必要以上のお金を持とうと思った時が苦しい
問題は悩むためにあるんじゃない
よく「ひとりさんは悩み事ってないんですか?」って聞かれるんだけど、悩み事がないのとは問題がないのとは違います。
私にも色々と問題が起こるけど、それは悩み事とは捉えません。
そもそも、問題って誰にでも起るんです。
なぜかというと、それが魂の向上のために必要だから。
問題のない魂って、向上する必要がありません。
そもそも、そういう魂は生まれ変わってこないんです。
私たちは皆、未熟で修行が必要な魂なんです。
だから失敗もするし、問題も抱えます。
でも未熟ということは、完成されていないということです。
だから、まだまだ成長することができます。
私たちは、問題を悩むために生まれてきたのではありません。
問題を解決するために生まれてきたのです。
そして、その問題を解決した時、魂が成長するようになっているんです。
それと、解決できない問題は出てきません。
神様はあなたに解決できる問題しか与えないんです。
もしあなたが今、悩んでいるんだとしたら、それは「魂を成長させる時ですよ」という合図です。
だから「この問題で自分の魂が成長する解決策って何だろう」って考えてみてください。
きっとあなたの中に、その答えは隠されています。
三つの法則が何のためにあるのか。
その理由をしっかり理解するんだよ。
結果には必ず原因がある
「100%幸せだ」
「100%自分に責任がある」
このことを理解するためには「原因と結果の法則」も知る必要があります。
この世で起こる出来事(結果)には、それを起こした原因が必ずあります。
だから、あなたに起こる出来事にも、全てに必ず原因があって、それは100%自分にあるんだよね。
そう言われると驚く人もいるでしょう。
でもね、信じられないかもしれないけれど、それは本当のことなの。
さらに、このことをもっと深く理解するためには「刈り取りの法則」も知る必要があります。
あなたが蒔いた種は、あなたが刈り取らなければいけません。
他人が蒔いた種を刈り取ることもできませんし、自分が蒔いてできたものを放棄することもできません。
農業と同じです。
田んぼに植えた苗の部分だけ稲穂が実るのです。
もし刈り取りを放棄すれば、それがまた新たな因果を生むことになります。
その因果は今世だけではなく、来世も続きます。
今世で刈り取れないほど大きな因果を生んだ場合は、何世代もかけてそれを刈り取ることになるのです。
だから私たちは、常に良い種を撒くように心がけ、悪い種をまいてしまった時は、それをせっせと刈り取ればいいんです。
部下の失敗に対して「バカヤロウ」って怒ると、あなたが”怒りの種”を蒔いたことになります。
怒ったらスッキリするかもしれないけれど、その怒りは必ず回り回ってあなたの所に帰ってきますからね。
だから「失敗だったね」と優しく言って、「次からこうやってやるんだよ」って指導する。
それでもできなかったら「悪い。モレーンの教え方が悪かったんだな。次はもっと工夫して教えるよ」って言っていると、その人にも慕われ、教え方も上手くなり、みんなからも好かれる・・・・・・・・まいた種を自分が借りとるのです。
このように、怒りをまくか、愛を蒔くかで刈り取るのが全然違ってきちゃうんだよね。
つまり「100%の法則」や「原因と結果の法則」、「刈り取りの法則」を知ると、人生を自分で100%コントロールできるようになるんです。
この三つの法則を知って、理解して実践することであなたの人生も見える景色が変わっていくからね。
法則は魂を成長させるための”仕組み”
では、こうした法則は何のために存在するのか。
それを一言で言えば、「魂の成長のため」ということになります。
私たちの魂は何度も生まれ変わります。
その生まれ変わりの中で様々な経験や体験をしながら、魂を向上させるのです。
私たちは生まれてくるとき、今世でどのような経験や体験を通じて魂を成長させる顔、あらかじめ大まかに決めてきます。
親や兄弟、そして出会う人など、テーマに応じた環境を選んで生まれてくるのです。
しかし、私たちは生まれてきたと同時に今世の目的や過去世のことなど、魂の記憶を容易に思い出せなくなります。
なぜかというと、その方が魂の向上に役立つからです。
でも、それでは目的地が分からず、道に迷ってしまいますよね。
そのために魂の親である神様は、様々な”仕組み”を作ってくれました。
法則もその一つなんです。
さらにいえば、性格や好き嫌いや欲も神様がつけてくれたものです。
だからそれを否定するより活かすことを考えた方が、人生はうまくいきます。
それでも人は間違ったり、迷ったりします。
そんな時に神様はいろんな方法で”お知らせ”をくれるんです。
病気になったり、不幸になったりするのも「それは間違いですよ」という神様のを知らせ何です。
正しくておかしなことをは起きないんだよね。
それがこの世の仕組みなんです。
体の調子がおかしいというのも、どこか間違っているからなんだし、幸せになれないというのも、根本的にどこかが、何かが間違ってるんです。
だから、「この不幸の先に幸せが・・・・・・」って言うけど、その間違いを直さない限り、幸せにはなれないんだよ。
全ては魂が成長できるために起こるからね。
人は神様のつくった最高傑作
私は昔から神様が大好きなんです。
そして、神様は”すごい”と思っています。
だから、そのすごい神様が作ってくれた自分は「神様の最高傑作」だと思っています。
私の周りの人は「一人さんってすごい」って言ってくれますが、周りの人に言われるまでもなく、私は自分のことを「すごいんだ」と思っているの。
そして、それと同じぐらい、周りの人のことも「すごい」って思っています。
人は皆、神様の作った最高傑作なんです。
神様は私たち一人一人に、素晴らしい個性という才能を与えてくれました。
神様のすることは全て完璧です。
決して間違いがありません。
だからわたしたちが持っている「飽きっぽい」とか「怒りっぽい」というのも、全て神様からのギフトであり、才能なんだよね。
多くの人は自分ができないことを、神様が才能として与えてくれているのに、それを才能だとは思わないで、自分の最大の難点だとか、欠点だと思ってしまいます。
「神様は自分の子である人間を困らせようというようなことは、絶対にしない」ということがわからないんです。
自分のことを「ありふれた人間だ」と思うから、ありふれた生き方をするんだよね。
「自分は価値があって素晴らしい人間だ」と思うと、価値があること、素晴らしいことをしようとします。
私たち一人ひとりが「神様のつくった最高傑作」であり、「この世にたった一つの存在」なんです。
それが「くだらない人間だ」と思うと、くだらない生き方になっちゃうよ。
ちなみに、私が信じている特定の宗教の神様ではなく、この宇宙を作り出した存在のことです。
だから私は特定の宗教を勧めることはありませんし、自分も特に何かを信仰しているわけではありません。
でも、だからといって人の信じている宗教を「やめろ」とは言いませんし、「こっちの神様を信じろ」とも言わないんだよね。
それぞれが信じる神様を信じて、それで幸せならそれでいいんです。
みんなが自分のことを「すごい人」と思って、理解し合いながら力を合わせたら、もっとすごいことになるよね。
自分に無いものは必要のないもの
自分のことを「ありふれた人間だ」とか「くだらない人間だ」と思っている人は、「自分に価値がある」ことがわからないんです。
それで、「自分に価値がない」と思ってしまうのは、他人が持っているものを「自分は持ってない」と思うからなんだよね。
「あの人は頭が良くて一流の大学を出てるけど、私は頭も成績も良くなかった」
「あの人ははお金をたくさん持っているけど、私は持っていない」
「あの人は背が高くてスタイルもいいけど、私は背が低くて足も短い」
「あの人は運動神経が良いけど、私はよくない」
そうやって他人の持っているものと、自分のものを比べて「自分には価値がない」と思ってしまいますが、自分に無いものは必要ないんです。
神様はその人に必要なものをくれます。
私は中卒で肩書きも何もなかったけれど、そんな私に神様は「累計納税額日本一」という肩書きをくれました。
そのおかげで、多くの人が「累計納税額日本一の人が言ってるんだから、ちょっと聞いてみよう」と私の言う事を耳に傾けてくれるんです。
それに、「持ってない」というのも神様が与えてくれた才能なんですね。
多くの成功者は貧しい家庭に育っています。
だからお金の価値を知っているし、どうすればお金が得られるかを必死で考えました。
逆にお金持ちの家に生まれた人の多くは「お金はあって当たり前」と思い、を得るための特別な努力はしません。
あるのが当たり前だと思っているんです。
大切なのは、「価値に気づくこと」です。
最近では「がんばらないと価値がない」と思っている人が多いけど、そうじゃないの。
自分の価値を認めてがんばった時、初めてその価値が発揮されるんだよ。
追伸 必要以上のお金を持とうと思った時が苦しい
必要以上のお金を持とうと思った時が、苦しい。
それから、必要なだけないと苦しい。
魚屋は魚で商売するから、魚がたくさんある。
でも、普通の家庭に、魚屋みたいに魚がたくさんあったら、大変なことになっちゃうよ。
普通の家庭には、その日食べるぶんの魚があればいいんです。
それ以上の魚をね、求めるから、おかしくなっちゃう。
あまり必要のないものを求めると、苦しくなっちゃうよ。
だから、全て適度な量でいいんです。
お金を持ったからって威張っていると、嫌な奴に見える。
お金を持ったからって、威張るのよしな。
高速道路のサービスエリアなどで、ベンツから降りてきた人が、トラックの運転手に怒鳴っている。
「出てこい!」って。
ベンツに乗れるくらいお金が残ったのなら、今頑張っているトラックの運転手の気持ちくらい分からなくっちゃ。
自分にお金がなかった頃のことを忘れて、昔の自分と同じ立場の人をいじめるような奴は、お金を持っちゃいけない。
そんな奴からは、お金は必ず離れていく。
感謝の多い人って、必ず成功するんだよ。
でも、いいことがあったら感謝するでは、普通なんです。
いいことなんて滅多にないから、感謝が少なくなっちゃうんです。
それよりも、嫌なことにも感謝する。
自分が失敗した時は、
「あ、こういうことをすると、失敗するということがわかった」
何です。
人に騙された時は、
「ああいう人に騙されたんだ」
恨むより、騙されたおかげで、
「世の中にあいう人がいるって分かった。
もっと出世してから騙されたら、膨大なお金を取られてた」
って、嫌な事にも感謝する。
だから、良いこと、悪いこと、両方に感謝できる人間になるんです。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きも御座いません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。