どんな時代が来ても、そのことが先に分かっていて、その時代を迎える準備を終えている人は、楽に楽しく過ごすことができる。
人生で勝つのは、準備した人だけですよ
この記事には、これからの経済がどうなるのか、成功するためにはこれからどう行動すればいいのかという、私の考えがたくさん書かれています。
一つ一つの話に、みんな「一人さんの言った通りだ」「本当にあたりつつある」、驚いているようです。
その話が色々出てきますが、私が言いたいことはたった一つ。
どんな時代が来ても、そのことが先に分かっていて、その時代を迎える準備を終えている人は、楽に楽しく過ごすことができる。
ということです。
どんな時代が来るのかは、私が教えることができます。
皆さんは、この記事を読んで、どんな準備をしてこれからの時代に備えたらいいかを、考えるだけでいいのです。
人生で勝つ事って、意外と簡単なことなんですよ。
「ひとり勝ち」できるのは、あなた次第です
「俺の言うことは変かもしれない。なにせ、俺は変な人だから」
斎藤一人さんは、いつも明るくこう言います。
でも、先を見通すその目は鋭く、いつも人より一歩を速く動いてしまうので、どんな困難な状況になっても困った様子を見せたことがありません。
「時代、経済と言うと、裸も誰かが動かしているように思われがちだけど、違うんだ。
実は天気と同じようなもので、誰かが何かをしたり、何かを望んだりしたからといって変えられるような弱い流れではないんだよ。
ただ、船乗りが天気をピタッと予測して船を進めるように、商人は経済の読みをピタッと当てて会社や店を潰さないように対応できなきゃ、やっていけないんだ」
時代や経済が、これからどうなるか先にできれば、どんな状況になっても対応できる。
一人さんに教えてもらったことは、例えて言うと、「暑くなるのか分かっていれば、Tシャツを買っておける」「嵐が来るのが分かっていれば、雨戸を閉めておける」というようなことです。
つまり、これから世の中がどうなるかわかっていれば、困ることはないのです。
1990年代、日本経済が大混乱を起こしたことがありました。
そのような時代でも10年間以上、土地・株・相続によるものを除いた納税額で、トップに続けているのは一人さんです。
まさに「ひとり勝ち」といっていいでしょう。
ちなみに「一人勝ち」と「ひとり勝ち」は少しだけ違います。
「一人勝ち」は結局、相手次第。
「ひとり勝ち」は自分次第。
だから、時代がどうであれ、いつも強いのです。
そして、私を含めた大勢の人が、船長の優れた読みのもと、天候の不安もなく、大船に乗った乗組員のような気持ちで、成功という宝島まで連れて来てもらっているのです。
新聞やテレビで、「正論らしい経済の話」をする人はたくさんいますが、そした話ばっかり聞いていると、時代の流れを正しく読むことができなくなります。
雨がなぜ降るのかわからなくても、これから雨が降るということさえ分かっていれば、傘を持っていくことができ、何も困ることはありません。
また、明るい人にはチャンスがあります。
あかりは昼に目立たなくても、夜つければ人が集まってきます。
世の中が暗いなら、明るいこと自体が評価されるです。
何が起きるかが前もって分かれば不安は無くなり、どんな状況も明るく前向きに捉える方法をがいくらでも見つかります。
この記事で「時代を読む」人も、周りに光を分け与えることができ、チャンスをつかめると思います
本物の時代から本当の時代へ
本物の時代は終わったんだよ。
私はこれまで未熟ながら商売の世界に身を置いてきたのですが、斎藤一人さんの言葉を聞いていて、時々、「戦いを勝ち抜いてきた人でなければ、この言葉を言えない」と感じることがあります。
「これまでは本物の時代だったんだよ。
本物というのは皆が本物だといえば、それで本物になってしまうんだ。
これは高級品だ、この店は有名店だとみんなが言えば、誰もが実際がどうなのかは確かめなかったんだよ。
だから、高級、有名なんていう肩書きだけで通用する楽な時代だったんだね。
それが本物の時代。
でも、これからは本当の時代が来るんだよ。
みんなが本当の実力を聞くんだ。
高級ですなんて言っても通用しない。
それは本当に美味しいのか、本当に使い心地がいいのかと皆が聞くよ。
そして、自分で確かめるんだ。
そして、気に入らなければ、買ってはくれないんだよ。
みんなが本当なのか?と確かめるから、本当に実力がないとお店も流行らないし、商品だって売れない、そういう時代になっていくんだよ」
一人さんは、さらにこう続けます。
「人だってそうなんだよ。
今までは本物の時代だったから、あの大学を出ている、あの会社に勤めているという肩書きだけで、本物になれたんだよね。
誰も実力なんか確かめないから、肩書きを出せば雇ってくれたし、仕事になったんだよ。
でも、これからは違うんだよ。
本当の時代に通用するのは実力だけ。
〇〇大学を出ている、なんて言っても、あなたは本当に役に立つのかと聞かれる。
生き残れるのは実力のある人だけになってくるんだよ。
経営者も同じだよ。
本当にこの仕事で利益を出せるのか、ということだけしか問題にされないんだよ。
それで、利益が出せなければ、肩書きを持って行っても追い出されてしまうんだ。
過去に実績がある人でも、油断できないんだよ。
いつも、今の仕事で本当に役に立つ、本当に利益を出すということで求められるんだ。
本当の時代に通用するのは、人でも物でも、実力だけ。
これからは、そんな時代になるんだよ」
これまでのお客さんは、本物かどうかを問題にしていましたから、肩書きが勝敗を左右しました。
でも、今のお客さんには、だんだん肩書きが通用しなくなりつつあり、自分自身で実力を確かめないとかってくれないという風に、変わり始めているというわけです。
今までは、日本の人々に、ある程度の余裕があったのかもしれません。
だから、本物であるとさえわかれば、実力まで確かめなくても安心していられました。
本物かどうかを確かめるのは肩書きさえ見れば済むわけですから、とても簡単ですし、それで困るような人も会社もありませんでした。
でも、状況がだんだん激しくなってくると、実力のないものを抱えている余裕などなくなってきます。
お客さんは役に立たないものを買わなくなりますし、企業は役に立たない社員を雇ってはおきません。
経営者ですから、利益が出さなければ、辞職に追い込まれます。
そんな現在の状況を、一人さんは本物と本当という言葉の微妙なニュアンスの違いで、鮮やかに切り取ってみせてくれたわけです。
この言葉からも、勝ち抜いて今もトップに立ち続けている人の知恵と、その凄みを、私は感じるのです。
これからは本当の実力を問われる激しい時代が来るのかもしれません。
でも裏を返せば、実力を備えようと前向きに生きる人には、いい時代が来るということでもあります。
時代の流れを知ろうとするあなたにとって、きっといい時代に違いありません。
追伸 「しおから大将」が皆に慕われた理由
学生時代、勉強ができた人は、「君、優秀だね」と親や先生から、褒められてきたことでしょう。
また、同級生からも、「君はいいな」と羨ましがられたかもしれません。
そういう時、ちょっと調子に乗ってしまい、掃除や当番をサボったとしても、「あの子は受験勉強が大変だから、まあ、しょうがないか・・・・・・」と大目に見てもらえたかもしれません。
また、勉強ができない子に向かって、「なんでこんなに簡単な問題ができないの?」と言ったとしても、「あの子は優等生だから、そう言われても、しょうがないや」と大目に見てもらえたかもしれません。
しかし、社会に出てから、仕事が忙しいからといって、みんなで交代でやることになっている掃除や当番をサボったとしたら、どうなるでしょうか?
「あいつはずるい」「嫌な奴だ」と、その人に対する評判は一発で下がります。
また、仕事に慣れない部下に向かって、「何でこんなに簡単なこともできないの?」と言ったら、どうなるでしょうか?
部下がその一言に傷ついてしまい、「私の上司が、私の事をバカにするんです・・・・・・」と社長に触れ回るかもしれません。
また、「上司と合わないので、会社を辞めます」と言い出す人がいるかもしれません。
学校時代は通用していたことが、「社会」では通用しなくなる。
学生時代、優等生だった人ほど、そのギャップに悩むことでしょう。
しかし、私に言わせると、「社会」で起こることの方が、正しいのです。
ズバリ言ってしまうと、「社会」というのは、あなたは本当に優秀かどうかを見られるところなのです。
社会に出てから「優秀な人」と言われるのは、仕事の成績がいいことだけを言うのではありません。
ちょっとぐらい大変なことがあっても、いつもニコニコして、楽しそうに働いている人。
「あなたと働けて、幸せです」
「ここの会社で働けて、幸せです」
そんな風に明るく言って、みんなのモチベーションを上げる人。
部下を見かけたら、「がんばってるね」と常に声をかけて、励ます人。
もし部下がミスをしたら、「これは私のミスなんです」と部下をかばって、上に報告する人。
そういう人って、一緒に働いているだけで、パッと心に灯がともります。
「この人のそばにいたい!」と誰もが思うでしょう。
社会に出たら、そういう人を、「優秀な人」と言うのです。
昔の武将の話で、面白い話があります。
ある国に、多くの嫌いから慕われている大将がいました。
この大将は、何か取り立てて、戦で大きな手柄を立てたわけではありません。
料理を作るのが好きで、みんなで集まって酒を酌み交わす時になると、美味しい「しおから」を作ってきて、みんなにふるまっていました。
家来たちは、大将の「しおから」をつまみに、酒を飲むのを楽しみにしていたのです。
大将は、みんながうまそうに酒を飲んだり、歌を歌ったり、踊ったりして盛り上がるのを、ニコニコしながら眺めていました。
家来たちは、日頃は過酷な労働をしていても、「あと何日がんばれば、大将の旨いしおからで、たらふく酒が飲める」と思うと、それを励みに何とか乗り切れたのです。
家来たちにとって、この「しおからた大将」は、なくてはならない「癒しの存在」だったのです。
この話のポイントが、わかりますか?
戦で手柄を立てることができなくても、人から慕われることは出来るのです。
何でもいいので、人に好かれることをする。
ほんの小さなことでも、人の心を温めるようなことをする。
それをしていれば、あなたは人から求められ、「社会」という海を、立派に渡っていけるのです。
逆に、どんなに仕事の面では優秀であったとしても、人を傷つけるようなことを平気で言ったり、誠実なにかけるようなことをしていると、「社会」という海は渡っていけません。
「社会」では、あなたの本当の実力が試される。
神は、実に甘い仕組みを作ってくれたものだと思います。
「社会」とは、本当に優秀かどうか試されるところ
画期的で安くて凄い商品も、人が欲しがらないと売れないのです
「時代や歴史は、人が作るのではないんだよ」
一人さんがこういったことがあります。
一人さんの時代を捉える目にはすごいものがあり、20年ほど前の後継機が危ういものだとその当時から察知していました。
また、その後の日本経済の失速と消費の低迷が長く続くことも事前に予測し、私たちに教えてくれたものです。
以前私は、一人さんが持っているような鋭い目を、自分のものにできないかと思ったことがあります。
ただ、一人さんのそれは商売のキャリアの中で磨かれた知恵の一部であり、余人には理屈では分からない素肌感覚のようなものからきているのです。
どうも、他の人が真似できる種類のものではないようです。
ただ、それでも、時代を見る基本となるものはあるようで、実は冒頭の言葉もその一つなのです。
こうした誰にでも有益となる基本的な考えならば、鋭い感覚を持ってはいない私なども、心得として役立てることができそうです。
さて、斬新なアイデアで大ヒット商品を生み出す人などが現れると、よく、「あの人は時代をつくった」とか「時代のリーダーだ」などという言葉を使います。
ですが、一人さんによれば、「それは勘違いだよ」ということです。
ところで、このように言うと、こんな反論をする人もいるかもしれません。
「でも、時代を大きく変えるような発明や商品だってあるじゃないか。もし、それがなければ、後の時代は別のものになっているような大発明だってある。
これは人が時代を作ったということにはならないのか?」
これに対する一人さんの答えはこうです。
「ものが現れるから、人がそれを欲しいと思うのではないよ。
人が何を求めるかは、それが現れる前に決まっている。
人の好みは既にある。
物が人の好みを変えているわけではないんだ。
つまり、時代の流れを決めているのは、ものの出現ではなく、その時代の人たちが何を好むかということなんだよ。
時代を創ったように見える人というのは、その時々の人が好みそうなものを、誰よりも先に作っているだけだよ。
ただ、いつも人より前を入っているから、時代をリードしているように見えるだけなんだ」
誰かの発明が時代を変えたのか、それとも、人々の好みが時代を決めているのか。
それは具体的な商品で考えてみればすぐに分かります。
何年か前に、発泡酒という商品がビールの代用品として登場してから、メーカー各社が競うようにして作り、大いに売れました。
味わいはビールとはほとんど変わらず、しかも値段は半額ほど。
まさに夢のような画期的な商品です。
誰かがこれを作ったことで、あたかも時代が変わったように見えます。
ですが、もしこれをバブルの頃に開発し、販売しようとしたらどうでしょう。
誰もが豪華なもの、贅沢なものを欲しがっていたあの時代、発泡酒を世に出せば今のように大ヒットしたでしょうか。
それによって人々の心が変わり、「これからはお金をあまり使わないにようにしよう。安いものを買うようにして、財布の紐を締めなければ」と思うようになったでしょうか。
あるいは、今「余分なものを出す」とか「脂肪を吸収しにくくする」などとうたい、売れているダイエット飲料、もし終戦直後に開発していたらどうでしょう。
当時の人々はそれを欲しいと思ったでしょうか。
いつも空腹に悩まされ、餓死の恐怖さえ感じて、「お腹いっぱい食べたい」「栄養を取りたい」と切実に願っていた人たちが、何か珍しいものが現れたからといって、「少しでも痩せなきゃ」と思うでしょうか。
空腹の時代、贅沢を求める時代、そして倹約の時代と、それぞれの時代にもてはやされたものがあります。
でも、それは誰かの発明品にリードされてそんな時代になったのではありません。
どれほど画期的で珍しいものでも、人々が欲しがらなければ売れませんし、世の中に広まることもないわけです。
こんなことは、言われてみれば当たり前のことです。
ところが、何かが登場してあまりにも目覚しい成功を収めると、この当たり前のことが見えなくなるようです。
だからこそ、時代を的確に捉えたければ、このことをよく肝に銘じておく必要があるわけです。
ことに、、問題が経済や政治に関連してくると、「人が時代をつくるのではない」という当たり前のことが見失われやすいようです。
経済評論家がマスコミに登場し、何か目新しいことを言うと、皆がそれに期待してしまいます。
つい、「あの人の言うとおりにしていれば、景気が良くなるのではないか」と思ってしまいます。
あるいは、新しい政治家が華々しく登場すると、「何か画期的な政策を打ち出して、日本の歴史を変えてくれるんじゃないか」とそんな期待をしてしまうのです。
まだ、経済評論家や政治家の方でも、自分の言っていることで時代を変えられると思っているのかもしれません。
ですが、一人さんはこう言います。
「個人に時代の流れは変えられないんだ。
どんなに頭のいい人がいても、一人や二人で時代を変えることなんかできないんだよ。
経済評論家が何を言っても事態は変わらない。
あの人たちは、ただ自分の希望的観測を言っているだけだよ。
政治家の言っていることもそう。
ただ、こうなればいいなという希望を言っているに過ぎないんだよ。
昔、中国に諸葛孔明という人がいたんだ。
この人は歴史の中で、最も頭のいい人だったかもしれない。
ところが、その諸葛孔明でさえ時代の流れは変えられなかったんだよね。
あの人は時代の流れを変えられないということを知っていて、だからこそ時代の流れを的確に当てたんだよ。
それが本当に頭がいいということなんだ」
人には時代の流れを変えられない。
このことを忘れずにいれば、誰かが時代を支えてくれるなどという儚い期待に惑わされることはありません。
そして、時代の流れがもっとよく見ることができるのかもしれません。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。
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