珠玉の名作
貴方が幸せになる話をします 、
これしか不幸から抜け出す道はありません。
人は何度も生まれ変わり
親というものを
貴方自身が選びます
何のために親を選ぶのか
何のために人間は
何度も生まれ変わってくるのか
親は自分で選びますが
仕事には呼ばれます。
仕事というのは貴方に
ピッタリの職場に呼ばれます。
人は何度も生まれ変わり
輪廻転生を繰り返すのは
一つの修業があります。
その一つの修行というのは
劣等感の克服ですね。
いきなり劣等感と言われても
何のことかわからないですし
あなた自身が劣等感を
持っているとは思っていません。
この話の一番難しいところは
ほとんどの人が
自分が劣等感を
持っているとは
気付いていません。
それとまた親の方も
子供に劣等感を与えてる
とは思っていません。
両方が気がついていないから
実は人が苦しむ原因になるんです。
そのことに気づくとなるほど
そういうことかとわかります。
面白いんですけど
この問題は分かると
だいたいその謎が解けます。
そんなに解決しようと
しなくても構わないんですが
分かればいいだけのことですね。
本当はこの話を聞くと
魂はわかりますね
ものすごく簡単な話です。
人はどういう形で劣等感を
持つかという話を今から伝えます。
まず魂は親を選んできます
おとなしい子は
おとなしい遺伝子の中に入ります。
よくキレる子は
キレやすい遺伝子を選んできます。
そこでどんな修行するかと
言うと実は親というのは
非常に未熟な魂なんです。
その未熟な魂で
子供を育てるんですけども
子供は親が未熟であると
いうことがわかりません。
親は未熟なんですけども
それを理解しないと
親は絶対ですから
子供は自分自身が
未熟であると思いますね。
なぜコンプレックスを
持つかという話をします。
親の未熟には二通りのパターンがあります。
それは単純に
キレて暴力を振るうとか
酒を飲んで暴力を振るうとかです。
そういう形の親がいます
これは未熟過ぎますから
すごくよく分かりますね。
こういう親に育てられると
すごく分かりやすいんです。
他のの親はこの方法を取りません、
お前のためだという形で出してきます。
親がどれぐらいかコンプレックス
持っていると自分は常に
不当に扱われていると思いますね。
やがて子供もそういう風に
扱われていると思います。
劣等感があると
自分はすごく不当に
扱われているように思えますね。
そうするとその親は
世間に出て行っても
やたら自分は不当に
扱われていると思いますね
だから損をしてると
思っているので
悔しい思いをしてるんですね。
あいつが悪いこいつが悪いと
自分以外はみんな悪いと思ってるんです。
それは極端なコンプレックスがあるんです。
要するに劣等感があると
自分はすごく損を
していると思うんですね。
なぜか悔しいんですが
これは親の問題なので仕方がないですね。
そういう親は何をするかと
言うと家に帰ってくると
例えばお父さんが
右上がりの綺麗な字を
書くとします。
子供が丸文字を書くと
そのことを異常に注意します。
これはお前のためだと
言うんですが
丸文字を書いても
実は誰も困っていません。
それなのに異常に教えてる
というのは親にコンプレックスがあるんですね。
コンプレックスがあるから
そのことを一生懸命して
憂さ晴らしをしています。
愛情という名の憂さ晴らしをしています。
もう一つこういう
憂さ晴らしの仕方があります。
例えば子供がピアノを始めたとします、
男の子が空手を始めたとします
空手をしてみると
自分に向かないことが
分かって辞めたいのに
泣くほど辞めたいのに
「やったことは最後までして欲しいのよ 」と
言い続けて子供に対して 威圧をしています。
お母さんは内職してでも
あなたの月謝を出すからね、
子供は嫌がってるんですが
お母さんは最後まで続けて欲しいと
言いますが
その期限ははいつですか。
お母さんは
「初段になったら辞めてもいいよ」と
言いますが
ゴールを示さないで
ずっと最後までと言ってるのは何なんですか。
それはお母さんのコンプレックスを
子供で晴らそうとしています。
お母さん自身は
自分でしたことが
最後まで続いたんですか、
お父さんも最後まで続いたんですか。
あるお母さんは
自分の好きなことをしています、
この子に自分が最後まで
頑張る姿を見せたいんです。
例えばダンスにしても
お母さんは好きなことをしていますね。
子供が空手が嫌いなんです
それをお母さんと一緒にして
お母さんの偉さを
見せようとしてるんです。
それでコンプレックスを
晴らそうとしているんです。
子供に劣等感を与えない
最高のことというのは
学校で運動会や成績で
いい成績を取ると喜びますが
成績が下がるとあからさまに嫌な顔をします。
いい子にしている時は
喜んであげるけれども
私は何も言ってません
でも顔が言ってます、
態度が言っています
それがものすごく
子供に劣等感を与えますね。
例えばうつ病になっている子は
親が子供はいい子なのに
もっといい子であることを望みます。
親がもっといい子もっといい子と
子供に望んでも子供ができません。
四角に四角になれと
言ってるのと同じで
もっと丸くなる
もっと丸くなると
完全な丸になれと
言ってるのと同じです。
その子はいい子なんです
暴走族になるような子だったら
言うことを聞きません。
いい子なんだからいい子だねっと
言ってあげればいいんです。
もっともっとと親が望むんですね
人生って少し上を向いて挑戦することは
すごく楽しいことなんです。
子供が自発的にピアノを
もっと上手くなりたいというのは楽しいですね。
子供の速度を超えて
親はもっとを望みます。
子供がうまくいかないと
親ががっかりした顔をします。
親は貴方のことを
可愛がってるからだと言うんです。
それがものすごく子供に
コンプレックスを与えるんですね。
劣等感を与えられると
今度は子供の方は子供の方で
劣等感をたくさん与えられると
良い子の時以外は
自分は可愛がれられないんだと
これはおとなしい子のパターンです。
劣等感をたくさん与えられて
育ったおとなしい子は
お母さんは自分はいいことをした時は
喜んでくれる
悪いことをすれば怒る
子供は何か常に良いことを
していないといけないんだと
いう状態になってきます。
親は勝手に自分のコンプレックスを
補うために叱っているようなものです、
自分に劣等感があるということをよく知らないんです。
子供にそういうことすると
やられた子供の方は
自分は無価値だと思います。
自分に価値を見い出すためには
それは人が喜ぶことをしないと
自分のことが無価値だと思いますので
元気のないという子は
自分はボランティアや福祉をやりたいと言います。
それは何かいいことをしないと
自分が価値がないと思っているからです。
ボランティアをしている人が
全員そうではありませんが
おとなしい子はそういう人がいます。
必ずそういう人の特徴は
楽しそうにしていません、
自分がボランティアを
したくてしている人は
楽しそうにしています。
自分のコンプレックスを
補うためにボランティアを
してる人は本当は
したいわけではないですから。
やりたいのと言いながら
なかなかやりませんね、
本当にボランティアを始めれば
そんなことで劣等感を
補えるわけではないですから。
今度はやらない人達に対して
あの人たちは何でしないんだろう、
要するに不平不満をその人たちにぶつけ出します。
自分はしたくてしたいわけじゃないのに
なぜ貴方達はやらないんだという理論になります。
親に与えられたり
もちろん私は親がいませんでした と
言っても人の家に預けられたり すると
人は劣等感を持ちますね、
親だけの問題ではなく
育ててくれた人の話です。
そうすると自分は無価値な人間なんだ
劣等感があって大人しい子は
うつ病になったりしますそれは
その人がいい子だからですね。
いい子なのにもっといい子になれでは
息苦しくなってきます、
暴れることができればいいですが
愛という名の親の暴力に
毎日、振るわれていると
元気の気が取られます。
そうすると無気力になります
なぜ無気力になったかといえば
誰かが奪ったんですね。
またそういう大人しい子だから
学校に行っていじめを
する子がいてるんですね、
いじめる子と言うのは
劣等感を持っています、
劣等感を持っていて
いじめられる子も劣等感があります
劣等感があっておとなしい子を
劣等感のある攻撃的な奴がいじめるんです。
会社ではおとなしい子は
うつ病になったりするんですが
全員が劣等感があるわけではないですが
劣等感の持っている人間が
社会に出てくると
攻撃的な人間が
自分の劣等感を埋めようとします。
世の中には劣等感のない優しい人間もいます
そういう人は優しいし
能力もありますから 出世します
人望もありますから
それを見ながら自分も
ああいう地位にあげれば
みんなから尊敬されるんだと思いますね。
ところが劣等感のある人間は
自分が嫌いなんです、
根底的に自分が嫌いですから
人に好かれる理由はないんです
自分が嫌いだったら
人だって貴方のことを嫌います。
その人間が出世しても
誰も尊敬してくれないので
余計に劣等感が湧いてきます。
その結果二つの行動を取ります
一つは会社で弱そうな子を
見つけてその子を
的にかけて怒りますね
叱るという名の憂さ晴らしをします。
普通に教える指導をすればいいだけです
それはネチネチとずっとやるのは
自分の劣等感をその子ではらそうとします。
誰かに憂さ晴らしをできる人はまだいいですが
憂さ晴らしができない人が家に帰ってきて
奥さんに対して箸の上げ下ろしや
雑巾の仕方についてネチネチ
言うか子供に対しても
ずっと言っていますね。
気が付いてないんですね
自分が親から受けてきた劣等感で
そうなってるということに
気が付いてないんです。
このことに気がつくために
人は何度も何度も生まれてくるんです。
例えば犬とか猫が大好きな人がいたとします、
すごくかわいがって可愛い可愛いと言います
その人がネコってすごく可愛いよねと言えば
その人が猫を可愛いと思う気持ちを持っているんです
だから猫を可愛がるんです、
猫の嫌いな人から見ればゾッとするほど嫌いなんです。
猫の問題ではなくて
あなたが劣等感を持ったのは
親が未熟なんです
親が子供が劣等感を
持つぐらいにしか育てられなかったんです。
その子供も親になれば
自分も親と同じことを子供にします
別にあなたは被害者ではなくどっかで
誰かが気がつけばいいんです。
それから課長がどんどん怒鳴っているとして
自分はどうして怒られるんじゃなくって
その人のことを劣等感のある人だな
気の毒な人だなと いう顔で見ていると
怒る人はやめます、
だってバレていますから。
劣等感を持ってる人は
自分が劣等感を持っている
ということをばれるのが一番嫌なことです。
もっと弱そうな人や未熟な人を探して怒っています。
お父さんが帰ってきて箸の上げ下ろしから
自分は疲れて帰ってきているのに
お前のそういう態度では仕方がない。
自分は家庭を
大事にしているというフリをします、
お父さんに「貴方なんでそんなに
劣等感を持っているの」って言ってみてください、
見抜かれると一発で治ります。
どこかであなたに劣等感を植え付けた人がいます
どんな風にして劣等感を植え付けたんですか
暴力とかそういうわかりやすいのが少ないですが
親のがっかりした顔です。
がっかりした顔をしてから
でも大丈夫やお母さんがついてるから
そのがっかりした顔が傷つけるんです。
うっかりいい子になっちゃうと
意外と最初からずっと成績の良くない子は
親が期待していないので大丈夫です。
ちょっと成績のできた子は落ち込みが激しいです。
期待してあげることが
愛だと思っているんです、
愛とはそういうものではありません。
あなたが運動会で一着になろうが
何着になろうが構わないから
お母さんはあんたのことが大好きだから
学校の成績が一番であろうがなかろうが
私にとってはかけがえのない子供ですから
細かいことは関係ないです。
神様が貴方を授けてくれたから最高です 、
これが愛です。
それをうちの子はいい子なのよと
良いときのことしか褒めないんです、
貴方が劣等感を持ったのは
貴方の責任ではないですね。
周りが未熟なんです
どっかで誰かがこれに
気がつけばいいんです。
未熟な人というのは
例えば恋人同士や夫婦でも
そうなんですが
未熟な人の特徴は 奥さんが
楽しい思いをしてくると
劣等感のない人は奥さんが
友達とカラオケに行って楽しかったと
言えばよかったねと言います。
ところが劣等感の持ってる旦那だと
なぜか自分のいないところで楽しんでと
言って嫌だって怒ります。
奥さんがどんなことでも
外で楽しかっても帰ってくる時に
楽しくないふりをしないといけないんです。
もうあんなの嫌なの二度と行きたくない、
辛かったのよと言わないと喜ばないんです。
そんなことを長く続けると
疲れますから
もう別れようということになりますね。
しかし別れられた旦那は気がつかないんです。
奥さんでもいます
貴方ばっかり楽しくていいわねとか
人が楽しかったら良かったねと
言えばいいのに
それを言えない雰囲気を作ります。
それは何でですかと言えば
あなたの中に劣等感があります。
お父さんや親が愛という名の暴力
を振るう特徴というのは
獲物を逃したくないんです。
子供が獲物なんです。
気がついていないけどそうなんです
子供のことをずっとネチネチと
もっとしっかりしましょうよね、
お母さんがついてるねからねとか
要するに重圧をかけるんです。
かといってこの獲物は逃したくないんです。
だから子供が自立しようとか
独立しようかといえば 邪魔したり
適当に お小遣いをあげますね、
与えすぎると逃げてしまいますから。
逃げない程度のお金を与えてあげるとか
ネチネチをずっとやってます。
女の人は最後の最後に
逃げ道は二つしかないんです、
病気になるか
男作って逃げ出すかなんです。
その男を作って逃げ出した時は
その男は劣等感の塊です。
人は劣等感を持ってるんだ
ということ理解して
劣等感を克服しましょうね。
どんな劣等感を持っているんだろうか
巧妙に隠されています。
劣等感を与える方法が
巧妙に隠されているんです。
あなたが幸せでなくて
落ち込んでいるんだとしたら
あなたが悪いと
思わせるような育てた人、
親とか周りの人 が
うまい具合に劣等感を与えているんです。
周りが貴方のことを考えていれば
本当は貴方は幸せなはずなんです。
それが幸せでないなら親の方も気がついていないんです。
子供から気力を奪っているということを
なぜお母さんがそうなったかというのは
親にやられてきているんです。
だから悪いとも何とも思っていません、
本当にあんたのためを思っているから分かりづらいんです。
本当に貴方のことを
何人も考えてる人がいれば
なぜ貴方が不幸なんですか
おかしいですね。
会社の部長も貴方のためを思って
怒っているといいますが
おとなしく言っても分かるはずです。
人前で注意するということは
本当は憂さ晴らしをしているだけなんです。
そういう親の元に生まれてきたんですから
お母さんも大変だったね
よっぽどコンプレックスを
持って生まれてきたの
どんな親だったのと
聞いてみてください、
絶対同じことをされています。
因果を断ち切るというのは
そのお母さんはその親にやられてきたんですね
どこかでこれを断ち切ればいいんです。
気をつけて欲しいことは
相手の劣等感を傷つけないために
どこの大学出身ですかとか は聞かないでください。
中卒、高卒もいるわけですから
その人は傷つくんです。
人間の言葉の中で一番大切なのは
相手にどうしたら劣等感を与えないかです。
ところが自分に劣等感のある人間は
傷つけようとしているんではなくって
自分は偉いんだと言いたいんです。
劣等感を持ったまま出世すると
出世したから尊敬してもらえると思うんですが
誰も尊敬しないから
今度は飲み屋とかいろんな所に
行って 威張るんです。
ひどい人は自分が偉いところを
見せたいために部下を連れて行って
威張るんです。
自分はご馳走しているつもりで
いるんですがそんなことを
してもらって喜ぶ人がはいないです。
そんなことも気づかないほど未熟なんです。
どこかで誰かが
こんな馬鹿馬鹿しいゲームをやめよう
よくクラブ活動なんかに行くと
先輩にいじめられてと被害者のつもりでいますが
被害者なんかじゃないんです。
心の中に劣等感のない人間は
劣等感のある所に行けば
逃げようと思うんです、
ところが劣等感のある人間は
上司の劣等感のある人間が来ると
この人たちに
好かれようとします、
合わせようとします。
その憂さ晴らしを今度は部下にします、
それでエネルギーのバランスを
保っているんですけども
部下が言うことを聞かないと
ヒステリーになるか脳に障害を
起こしたりしますね。
よくある例ですが
お母さんが口うるさくて
いい子で育ちます。
自分が弱いからやられていたので
今度は嫁が来ると
小姑としてその子をいじめます。
いじめているうちは精神は普通なんです
ところが嫁さんのほうがもっと魂が上で
おねえさんどうしたんですか
何があってそんなにイライラしているんですか
諭されるとヒーとヒステリーが出てきます。
唯一のはけ口がそっちだったんですが
その人もやめればいいんです。
お母さんもやめればいいんです
戦うことはないんです、
気づいてあげればいいだけのことです。
貴方にガミガミ言ってる親とか
愛情という名の暴力を振るってる親は
劣等感があります。
貴方とは関係がないんです、
貴方とは関係がないとは何ですかと
言った時
親がこういう風に言ったから
自分は劣等感を持った
それは親が未熟なんです。
学校の先生にこんなこと言われたんです
だから自分はこうして落ち込んでるんです。
学校の先生なのに
そういうことを言うこと自体が未熟なんです。
生徒にやる気を出させるのは
先生の仕事なのに
生徒がやる気をなくなる発言を
すること自体その先生の問題なんです。
自分は小さい時に劣等感を持った、
それは育て方がおかしいんです。
自分が劣等感を
持つことをやめるんです、
コンプレックスを持つことを
やめて人にもそういうことはしないようにします。
親がそういう事を言い始めたら
なんでお母さんはそんなに劣等感を持ってるの
必ずそんなものは持ってないわよと言いますが持っています。
劣等感を持ったままボランティアをしていると
本当はしたくないんです。
ボランティアを心からやってる人は楽しそうなんですが
暗い人はやりたくないんです。
子供を一生懸命に育てています、
会社でも同僚に精一杯尽くしています
なぜか好かれない人がいます
楽しそうではないですから。
心から周りの人の仕事を手伝いたければ
必ず楽しそうにやってるはずなんです。
苦痛そうにしますから
子供を一生懸命育てても
暴力を振るわれたりします。
そういう人の特徴は
自分にコンプレックスがありながら
自分はいいお母さんにならないといけないと思って
義務でやっています。
顔に楽しさが出ていません、
心としていることがちぐはぐなんです。
それを見ていると周りが絶対にイライラします。
子供が暴れだしてパカパカとやられるんです、
なぜだかわからないんですね。
もし一生懸命やってて好かれない人、
うまくいかない人 は
楽しそうにやってるかどうか考えてみてください。
コンプレックスがあると楽しそうに出来ないんです、
コンプレックスを与えてる人も愛だと思っているんです。
だから不幸は勘違いから始まる
親も勘違いして気がつかないんです。
人が不幸になる最大の原因はコンプレックスなんです。
だから過剰な期待は子供にしてはいけません、
通信簿を見て何だ下がったねと
言われるとどれぐらい子供がきが傷つくか、
ものすごく繊細なんです子供って
飴細工のようにピンとやればは割れちゃうんです、
だからそういうことをするのはダメなんです。
私はそんなこと言ったことがないと 言ってるけども
成績が下がっちゃったねとがっかりした顔をしてから
お母さんはそんなことを気にしてないの、
顔が言ってるんです。
子供には嘘をつけないんです、
子供って神に近いんです。
親が何を思ってるか分かるんです。
それを今やられてるんです
苦しんできた貴方がやられてるんです。
親にやられてきたお母さんも
どっかで断ち切らないと不幸が続くんです。
コンプレックスのあるお家は
自分がから帰ってきた時に
喜んだ顔をしないといけない。
常に自分を賞賛してくれないと嫌なんです、
家族がずっと称賛してるんです、
お父さんはこうだもんねと機嫌を取らせて
自分は良い家庭だと思っています。
突如としてお母さんが
ヒステリーになったり
ノイローゼになったり
気が狂ったりしたら
自分を賞賛させてなかったか
考えてみてください。
いつも自分を褒めて欲しいとか、
いつも自分を見ていて欲しいとか
そんなことは普通の人間は言いません。
言ってるとしたら貴方は
子供の時からずっと劣等感の塊なんです。
劣等感で出世して
しまう人っているんです、
あんなに出世しているのに
だから頑張らなければいけない。
よく夫婦でいつもいつも一緒にいて
だから他人は仲がいいと思っているんです。
いつも旦那のことを褒めていると
いい奥さんだね。
普通いつもいつも
旦那のことを
褒めていたいですか
いつも一緒に旦那といずに
普通だったらあっち行きたい
こっち行きたいというのがありますね。
よっぽど厳しい親に育てられたか
劣等感があると 奥さんとか子供に
一緒にいることを望むんです。
本当にいい奥さんなのに
突如として気が狂って
本当に愛に包まれていておかしくなりますか。
医学的にはわからないですけども
その前に自由にさせていましたか
人と楽しいかったとか
あれば良かったなぁとか
また行きなさいとか言ってましたか。
なぜそれを言えないんですか
誰でも自分には劣等感があるんではないかと
育てられてきた時に劣等感があるんじゃないかと
もし不幸な人がいれば
幸せの絶頂なら構わないんですが
それを思ってください。
コンプレックスは出世では解決できません
いくら家の人がちやほやしても解決できないんです
それは心の中にあるからです。
いくら飲み屋やなんかでお金を使っても
その時はちやほやされてても
嫌われてるのを知ってるんです。
帰りにはガクッとして寂しくなって帰ってきます。
もし不幸なら自分の中に
コンプレックスがあるんじゃないかと
幸せならそれがないだけなんです。
男の子でも何人かいたりすると
親は気が付いていませんが
はいっと入ったものをあげると
なぜ弟の方に先にあげるのか
近くにいたからあげただけなんです。
俺は差別されてるんじゃないかと
思うんですけど
貴方の親はそんなことは考えていません。
親がイライラしていて
つんけんに子供を扱ったりして
怒りやすいから怒ってるだけなんです。
子供の方は何で自分なのかと
弟の方が可愛いんじゃないか
兄貴の方が可愛いんじゃないかと 思います、
そんなことすら考えていません。
貴方の親は
ただ思いつきでしているだけです。
ただそれだけなんですが
劣等感を持つほどの問題ではないんです。
劣等感という呪縛から
どうやって解き放たれるのか
気がつけばただそうなんだ、
未熟な親を選んで生まれてきています。
それで劣等感をなくす 、
劣等感を持ったまま幸せになることはできません
人に劣等感を植え付けるようなことはやめてください。
それが紺瀬の修行です。
紺瀬は分からなくてもいいんです、
人には劣等感があります、
全員ではありませんが
うまくいってない人
いつも怒っている人
威張っている人
政治家なんかで俺は
こんなに偉いんだと
やってる人がいます
この人は劣等感があるんだと思ってください。
小さい時によっぽど
劣等感のある育て方をしたんです
その劣等感が外に攻撃的になっています。
劣等感が自分を攻撃した時に
うつ病になったり部屋から
出られなくなったりします。
原因は攻撃的な奴が劣等感を持ったか
攻撃的でない優しい人が劣等感を持ったかで
起きる行動が違ってきます。
ただそれだけなんです
原因は劣等感にあります。
根拠のない劣等感 ですね。
劣等感のある人は
人に認められようと努力をしますが
それはやめてください。
貴方のことは神様が認めています、
神様が認めたからこそ貴方を地球に誕生させたんです。
神様が認めているんですから
周りの人間が何を言おうが関係ありません。
私のことは神様が
認めてくれているんだと
そう思えばいいんです。
追伸 まず、自分が光り輝く人間になる
人間、この世に生まれた以上、最低でも一人、幸せにしなきゃいけない人がいます。
それが誰かというと、「自分」です。
もちろん、自分の心が明るく楽しく、幸せでいられるようになったら、その幸せのなり方を人に教えるんですよ。
だけど、幸せになっていない自分が、人を幸せにする事って、できるんだろうか。
例えば、自分が掛け算を知らなかったら、人に掛け算を教えることができないよね。
それと同じで、自分が幸せじゃなかったら、幸せになる方法を人に教えることはできない。
みんなのためにも、まず自分が幸せにならなきゃいけないんです。
だから、できるだけ心を明るく、楽しくしてなきゃいけない。
それなのに、職場に行くと、やっとと持ってる心の灯を消そうとする人間がいたりする。
例えば、すぐ人を怒鳴りつける上司。
「俺に、何回、」同じことを言わすんだ!」とかって。
何回言ってもやらないのなら、自分の言い方を変えてみればいいだけなんだけど、自分を変えようとしない。
で、人を怒鳴ると。
こうやって、人の心の灯を消しちゃう人、怒鳴ったり、怒ったりする人って、実は何かに恐れているんです。
劣等感を持ってて恐れてる。
こういう人間に対して、「この人は劣等感で恐れてるだけなんだ。かわいそうに」とか、
「私には、そんな恐れることなんてないですよ」とか心の中で言いながら、そういう波動で見ると、だんだん、相手が治まってきます。
劣等感のある人間は、人を攻撃することで自分の心に鎧を着せるんです。
それで、相手が怯えると、自分が勝ったような気になる。
それで、自分が勝てる相手にしか、怒鳴ったり、怒ったりしないんです。
だから、怒鳴られた、怒られた、自分が怯える・・・・・・を繰り返すのでは、ずっ~っとそれが続く。
でも、というものには別の音を消す周波数があるのと同じで、「この人は何を恐れているんだろう」とか愛の波動でもって相対すると、、向こうの恐れの波動は消えちゃう。
そうすると、だんだん、怒鳴ったりするのが治まってくる。
それから、世間も色々言うよね、「大学でとそうじゃない人間で、お給料がどうだこうだ」とか。
「方程式ができなかったら、ろくなもんにならない」とか、「英語の勉強ができなかったら、出世できない」とか。
そんなことを言って人を傷つけようとしたり、落ち込ませたり、心を暗くさせようとする人がいるんだけど。
でも、「方程式もできなかったらろくなものにならない」とかっていうのは、実はあなたのことではない。
その台詞を言った本人のことなんです。
「方程式ができなかったら・・・・・・」といった、東の方にんが方程式ができない場合、その人はろくな人間にならないということ。
しかも、「方程式できなかったら・・・・・・」と言った人と、あなたとは生きる定めが違うんです。
だから、「方程式できなかったら・・・・・・」と言われたからって、あなたが傷ついたり、落ち込む必要なんて、ひとつもない。
占いだって同じです。
方位方角がどうのこうの、、「この手相では、幸せになれない」とか言われたら、「幸せになれない」と見立てた人間が、その手相、その方角に行くと幸せになれない、ということなんです。
その人間と自分は生きる定めが違うんだから、「自分はこの手相で結構です。この手相で、どんどん、幸せになります」って。
そうやって、言い切っちゃえばいい。
根拠があろうが、なかろうが、そんなもん、どうでもいいの。
言い切ったもん勝ちなんだよ。
「自分はこの手相で幸せになるんだ」って、勝手に切っちゃったら、もう、自分の心は負けてない。
明るく、光り輝いているんです。
その光で、この世の闇は消えちゃうんだよ、って。
だから、「本当の幸せって何ですか?」って、まず自分が光り輝く人間になる。
そしたら、その光で周りの人を照らす、明るく楽しい心にしてあげる。
なぜかと言うと、たいがいの人は、周りの人の言葉に影響されて暗くなっちゃう。
方位方角とかで、「こっちがいけない」「あっちがいけない」って言われると、ビクビクしちゃうんです。
でも、自分が光り輝く人間になって、「東南の方向に行っちゃいけないって言うけど、そんなの関係ない。
俺の行く場所は常にいい場所だ」とか言うとする。
そうすると、そばで聞いていた人間は、「こいつ、随分強気だな」って。
「でも、なんか、気分がスカッとして、いいよな。自分も強気できてみるか」
そばにいる人も、いつのまにか、光り輝く人間になってくる。
自分の周りに光り輝く人間が集まってくると、闇が入り込む隙なんて、もう、ないんです。
いいことがばかばか起きて、すごい幸せなんだよ、って。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読有り難う御座います。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きも御座いません。
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