「天国に行く」ってどういうことかというと、人が死ぬと、頭のてっぺんのところにある「百会(ひゃくえ)から魂が抜けていきます。
「品がある」って「ダンス」と似てるんです。
ステップを覚えたての人よりも、
何度も踊ってる人の方が「優雅」に踊れるんだよね。
軽やかでしなやか。
見ていても綺麗です。
いいことをさらっと実践できる人
「品がある人」って、見た目がいいだけじゃなくて、中身もすごくいいんです。
ただ綺麗なだけなら「品がある」とは言えないんだよね。
顔や姿が綺麗でも意地悪だったり、性格が悪い人っているんです。
じゃあ、その「品がある」って何かっていうと、他人に貢献することで喜ばれる人だよね。
この地球という星は「行動の星」だから、いくら良いことを知っていても、それを行動に移さないとだめなの。
「人に親切にしたほうがいい」っていうことは誰でも知ってるけど、それを実際に行動に移している人って少ないんだよね。
困ってる人がいたら自分のできる範囲で助けてあげるとか、公衆トイレを掃除している人を見かけたら「ありがとうございます」って声をかけるとか。
「掃除してる人は、仕事でお金をもらって行ってるんだから当たり前」っていうのは寂しい考え方だし、「ありがとう」ってタダで言えるし、言われた方は嬉しいし、言った方も気持ちがいいんだよ。
そうやって、知ってる「いいこと」をさらっと実践できる人が「品がある人」だと思うんだよね。
さらにいうと、「品がある人」って「ダンス」と似てるんです。
ステップを覚えたての人よりも、何度も踊ってる人の方が「優雅」に踊れるんだよね。
軽やかでしなやか。
見ていても綺麗です。
私のお弟子さんのみっちゃん先生は「人をほめる達人」なんだけど、トイレ掃除をしている人にいつも「ありがとうございます」っていうのも慣れてるから、すごくさりげなくできるんです。
でも、これが慣れてない人だと「ありがとう」って言った方がいいのはわかっていても、実際に言うのはなかなか難しいんだよね。
品がある人の優しさと思いやり
ある茶道の家元の奥さんが、「一番美味しいお茶は何ですか」って聞かれて「お寿司屋さんで出してもらう、大きな湯のみでいただくお茶ですね」って答えたんです。
もちろん、家元が点ててくれるお茶はおいしいし、高級な茶葉や器を使って飲むお茶はも美味しいんだよ。
でもそう言うと、それを聞いた人の中にはそのお茶が飲めない人もいるし、飲んだことのない人には分からないんだよね。
この人みたいに、みんなのことを立てると、その人の格も上がるんだよね。
また、こんな話もあります。
昔、あるお坊さんが女性から「私は女郎をしています。お金のために男の人に自分の体を売りました。こんな私でも極楽浄土に行けますか?」って聞かれたんです。
その質問に対してお坊さんは、こう答えました。
「私たち坊主は、「教え」を伝えたり、「お経」を唱えたりして、その対価としてお布施をいただきます。つまり「教え」や「お経」を売っているんです。人間は誰でも何か売って生きています。だからあなたも、極楽浄土に行けますよ」
品がある人って、人に対する優しさや思いやりがある人だよね。
それと、「品がある人」ってフランス料理を食べてもかっこいいけど、町の定食屋で食べていてもかっこいいんだよね。
それで、どこのお店に行っても喜ばれるんです。
だから、どこに行っても喜ばれる、いいお客になればいいんだよね。
世間がいう「品がある人」と私がいうのとは少し違うかもしれないね。
でも、お店からも好かれて、周りのお客さんからも好かれるような人が、本当の「品のいい人」だと思うんだよ。
だから、単純にいえば「品の上がる人、下がる人」って「他人から好かれる人、嫌われる人」だよね。
かっこいい人には愛がある
また、こんな話もあります。
昔、ある男性が「顔は一年中、裸で過ごしても大丈夫なんだから、体も鍛えれば一年中、裸で過ごせる」と言って、冬の寒い日でもパンツ一枚で過ごしていました。
新聞社が男性のところに取材に来たんです。
そこでその人の家の部屋に通されたら、彼がストーブを持って現れました。
それを見て新聞記者が「家ではストーブをつけてるんですね」って言うと、その男性は「いや、俺はいいんだけど、あんたが寒いと思って持ってきたんだよ」と言います。
さらに新聞記者が「でも、黙ってたら家ではストーブをつけてるんだって思われますよ」って言ったら、その男性は「いや、そんなことはどうでもいいんだよ。あんたが当たったかけりゃ」って言ったんです。
世間の人は「パンツ一丁で品がないって言うかもしれないけど、私に言わせれば、自分の評判なんかより、相手のことを思いやるこの男性はかっこいいし、品の上がる人だと思うんだよね。
だから、鼻につくような品の良さもあるけど、本当に品のいい人って、いつもかっこいいよね。
品がない人って、愛がないんだよ。
グルメとくは美食家の人がいるんだけど、愛がない人って、ただ自分が有名なお店や高い店で食べる事を自慢するんです。
それってカッコ悪いよね。
日本酒でも、なかなか手に入らない「幻の逸品」みたいなお酒の話をするよりも、「やかんに直接日本酒入れて、焚き火で温めて飲む「焼燗」ってうまいよね」って話なら、誰でも飲むことができるんだよね。
結局、やってることやってることに愛がある人って、品が上がる人なんです。
マナーを守っていても、嫌われる人っています。
それと、マナーを知らない人のことを馬鹿にする人がいるけど、「自分ができるから相手もできるだろう」っていうのは、相手に自分の価値観を押し付けているのと一緒だよね。
他人の喜びに「よかったね」が言える人
それと、他人が喜んでいるものを喜ばないのってダメなんです。
「宝くじ買ったんだ」って言うのにも、「私は買わない」とか「そんなの、当たるわけ無い」じゃなくて「当たるといいね」って言えばいい。
好きな芸能人や歌手の追っかけをしているような人でも「今日、コンサートであの人と目が合ったの!」っていうのを、「向こうはあなたのことなんか見てないよ」とか言っちゃいけないの。
その人は喜んでるんだよ。
その気持ちに水を差すようなことを言っちゃダメ。
「よかったね!」とか「ついてるね!」って言えばいいの。
アルバイトしたお金でアイドルのグッズとか買った人に対しても「そんなの下らない」とかって言う人がいるけど、買った人にとっては大切なものなんだよね。
それをで理解できないからって否定するのは良くないよ。
キャバクラでも「私は行かないからわかりません」じゃなくて、行かなくても相手が喜んでることは分かるよね。
だから、その喜んでいることに「よかったね」って言えばいいんだよ。
「意見の合わない人とは付き合わない方がいい」って言うけど、全くその通りなの。
でも、私は大概の人と意見が合うんだよね。
合わない人ってほとんどいない。
嫌な人でも、私と会うといい人になっちゃうんです。
でもそれって、そんなに難しいことじゃないんです。
それを「私はやらないから・・・・・・」とか言って、たった一言の「良かったね」が言えない人って「我」が強いんだよね。
「天国に行ける人」は精神的にも豊か
一人さん流に言えば、「品がある人」っていうのは物質的に豊かなだけじゃなくて、精神的にも豊かな人だと思うんだよね。
もっと簡単に言うと、「天国に行ける人」なんだよ。
「天国に行く」ってどういうことかというと、人が死ぬと、頭のてっぺんのところにある「百会(ひゃくえ)から魂が抜けていきます。
赤ちゃんの時って頭のてっぺんに穴があって、大人になるにつれて骨で埋まっているんだけど、」そこが「百会」って言うんです。
それで、抜けた魂は人間界からトンネルのようなものを超高速で抜けて、その先には林のようなところに出ます。
そこをテクテクと歩いて行きます。
林を抜けるとそこには一面のお花畑が広がっていて、さらにそこを歩いて行くと、三途の川に出ます。
川の手前には神様がいて、そこに来た魂に対して「あなたはこの人生を楽しみましたか? 人に優しくしましたか?」と聞かれるんです。
「この人生を楽しむ」って、自分だけ楽しんだんじゃだめなんだよね。
人間って人の間だから、自分も相手も楽しくないとダメなんです。
さらに言えば、相手が楽しんでくれることが自分の喜びなんです。
人は、相手に喜ばれて「あなたがいてくれて良かった」と言われることが1番嬉しいようにできてるの。
だから神様は、あなたが「キャバクラに行って楽しかった」とか、そういうことを聞きたいんじゃないんだよ。
結局、「あなたはこの人生を楽しみましたか? 人に優しくしましたかっていうのは、「他人に喜ばれる人生を送りましたか?」ということなんです。
その後、魂は三途の川を渡るんだけど、他人を苦しめたり、悲しませたりした人、つまり地獄に行くような人は激流を渡らないといけません。
それで、他人を喜ばせる人生を送った人は船で渡れるとか、その人が渡るところだけが浅くて、流れも止まってるんです。
そして、その中間的な人が渡るところが流れが緩やかだったりします。
三つの違った流れがあるから三途の川なんだよね。
それで地獄に落ちた人は修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と道が分かれ、そこからさらに細かく道が分かれてるんです。
でも、生きてるうちから「その道はどうなるんですか?」とか、地獄にばかり興味を持たなくてもいいよ。
あまり地獄に興味を持ちすぎると、地獄に行くことになっちゃうからね。
地獄に行かない考え方ができ、地獄に行かない行動を心がけるだけで充分だよ。
不思議な事って思っても、議論してもいけないことだから、それよりも天国に行くことだけを考えていた方がいいんだよね。
追伸 人の定めは変えられる
人には定めがあるんです。
それで、大抵の人はその定めを変えようとしないの。
でも、変えようと思えばいくらでも変えることはできるんだよ。
人間は持って生まれた定めよりも悪く生きれば下に落っこちるの。
よく生きれば上に登っていくんだよ。
人殺しをした人って、人殺しをする定めで生まれてきたわけじゃないの。
大体、生まれてくる時に自分の定めを決めてくるんだけど、「自分は人を殺してきます」っていうことだけを神様が許可するわけがないんだよ。
「私は殺されてきます」っていうことだけもないんです。
みんな、出てくる時に必ず「良くなってきます」って言ってくるの。
最低ラインから出てきたら、本当はそこからよくなるはずなのに、さらに悪くなる人もいるんだよね。
だから、人は底抜けによくなれるし、反対に底抜けに悪くもなれるの。
それで、少しでも良くなろうとする人生の方が楽しいし、悪くなる人生は苦しくて辛いんだよね。
そうしたことをわかるために、物質的なことばかりにとらわれるんじゃなく、精神的なこと、スピリチュアルな面にも目を向けた方がいいよ。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
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