あなたのその意見は、「本当に自分の意見ですか?」って言っているだけなの。
自分の意見なら問題ないの。
- 質問1 あなたの本当の気持ち
- 質問2 あなたは生きづらくないですか
- 質問3 あなたの考えに従って
- 質問4 本来のあなたへ
- 質問5 あなたの行動
- 質問6 あなたの言葉、行動、それから顔に愛がありますか
- 追伸 素敵の種まきをしていると、どんどん豊かになるんだよ
質問1 あなたの本当の気持ち
自分に素直ということは、
ともするとワガママにはならないでしょうか?
斎藤一人さん
ならないよ。
素直でいるんだよとか、好きなことするんだよって教えると、必ず「わがままになりませんか?」「周囲に迷惑をかけませんか?」とか聞く人がいるんだけど。
でも、本当に素直な気持ちでやろうとすることで、人を苦しめる事ってあるのかな?
わがままになってしまうほど、素直だっていうことにしても、それって自分の本当の気持ちかな?
ありえないよね、
あまりにも自分に厳しくしてきた人って、よくそういうことを言い出すんだけど、もっと幸せに対して素直に生きてもらいたいな。
自分に素直に生きるとね、他にもちゃんと認めることができて、「みんな、やりたいことやっているんだなぁ」って理解できるようになるんだよ。
自分にやりたいことがあるように、隣にいる人にもやりたいことがあり、それをちゃんと認めた上でやりたいことをやるようになるから、他人にダメ出ししたり、批判したりはしないの。
自分も尊重するけど、相手も尊重するようになるの。
自分の考えだけが正しくて、それを主張したら、誰かが我慢することになると思っているのかもしれないけど、そんなことにはないんだよ。
昔だったらそうだったかもしれないけど、この時代は魂の時代だから、もうそうじゃないの。
そう考えると、人生の輝き方も、輝く時期も人それぞれでいいってことになるの。
自分に素直に生きて、自分のできることで世の中の役に立って、それぞれが輝く、そういうことなんだよ。
楽しい時代になってきたよね。
ワクワクするよね。
だから、素直になるってことは、わがままになることではないって、しっかり頭に入れておくんだよ。
質問2 あなたは生きづらくないですか
自分に素直であるという人は
行きづらくなったりはしないのでしょうか?
斎藤一人さん
質問の意味って、こういうことなんじゃないかな?
これが嫌いだとか、あれはやりたくないとかって、嫌なことをやらないで、自分に素直に好きなことだけやって生きていると、だんだん生きづらくなって、うまくいかなくなるんじゃないかってことでしょう?
でもね、うまくいかない時、うまくいかないんだってことが素直に分かれば、それでいいんだよ。
そして、うまく行くにはどうすればいいかをそこからまた素直に学ぶだけなの。
ただ、生きづらいっていうのは、結局のところ、素直じゃないからなんだよね。
人はこの世に、魂を向上させるために生まれてきているんだよ。
だから魂を向上させるにはどうしたらいいかって考えるんだけど、人って完璧じゃないから時々間違うこともあるの。
誰かが間違ったとしても、「学ぶなんて、偉いね」ってその人を許してあげてきといけないの。
よく「ほれ、みなさい」だとか「だから言わないこっちゃない」とか言って、そういうことで優位に立とうとする人がいるけど、それってもはや愛じゃないよね。
「私に従いなさい」って主導権争いになっているだけだよ。
夫婦でもなんでも、うまくいかなくなるのは、必ずどちらかが上とか、従っせようとして主導権争いをするからなの。
争いって、愛じゃないよね。
昔は、女が男より下だって決めつけてうまくいってた時代があるんだよ。
でも現代は、女は女の、男は男の魂として、それぞれがまさく時代になっているから、女だからって男に従うべきだなんて言えない時代なんだよね。
それって要するに、どっちが上とか下とかじゃなくって、互いに励まし合い、助け合いながら魂が成長していく過程が一番素晴らしいってことなの。
そういう時代では、誰一人として犠牲者にならないっていう生き方が正しいし、そういう考え方が当たり前の時代になってきたんだよね。
現代では、学びの過程が一時代前までの人とごちゃごちゃに混ざっていて、いろんな意見がいじっているわけだけど、誰かのために誰かが犠牲になるなんて、もうそんな必要のない時代なの。
だから素直に、楽しく生きていいんだよ。
質問3 あなたの考えに従って
現在の自分に、
素直さがどれだけ残っているか
測る手立てはありますか?
斎藤一人さん
自分に優しく、人に優しくできるかどうかだな。
自分を尊重し、人も尊重できるか、別の言い方をすると、人という本来不完全な存在である相手に、自分の苦手なことをやってもらって感謝できるかどうか、さらには、これまた不完全な存在である自分が、何か得意なことを誰かに行ってあげて感謝してもらえるかということだね。
世の中って、お互いそうやって愛を学ぶようになっているんだけどね。
だから、自分に対しても、人に対してもそんな不完全さを許すことができるかどうかってことが大事だね。
それには、どんなときも愛を持って許すことができているかどうかを考えてみるといいね。
できない事って誰にでもあるからね。
もし感謝できるのであれば、そういった感謝の気持ちがあること自体が素直さを持っているということだよね。
よく「素直になると狡猾な人に騙されませんか?」って聞いてくる人がいるんだけど、それは狡猾の人の意見を素直に聞くからだよね。
それよりも、あなたはあなたの考えに素直に従えばいい。
狡猾な人に騙されたらそれはそれで学んだだけってことだよ。
学ぶとそういうのには二度と騙されなくなるからね。
騙された時っていうものは、その素直は「他人に素直だった」ってことなの。
だから騙されちゃうんだよね。
人は本来、自分に素直になった時だけ、狡猾の人がちゃんと狡猾に映るものなの。
それは直感でもあるんだよ。
もし、狡猾な人が直感でいい人に思えたなら、その直感が悪いわけだから、その直感を磨くしかないってことなんだよ。
そのためには、痛い目にあった時にちゃんと学ぶこと。
直感ってどこに行ったって売ってないんじゃない?
だったら、自分で磨いていくしかないよね。
魂って、本来それ自体が素直なものだから、素直さが心に残っているかどうかというより、最初から存在しているものなんだよね。
もし自分に素直さがないと思うのであれば、きっと忘れているか、黒にしまってあるだけだから、心配しなくても大丈夫だよ。
質問4 本来のあなたへ
実際に、
素直さを取り戻すためには
どんなことを学べばいいですか?
斎藤一人さん
自分はこういうことがしたい、そして、あなたは何がしたい? っていうように、相手のことも自分と同じように考えられるかどうかなんだよね。
それから、いつも一人さんが言うように、自分が現在やっていることや、話している言葉に「愛」があるかどうか考えてみるといいよね。
わがままで、嫌われてしまうのは、やっていることや使っている言葉に「愛」がないからなんだよ。
あなたの言葉に愛があるか、ないかの違いなの。
わかるかな?
それさえ気をつければ、大抵のことはうまくいくんだよ。
素直さを取り戻すっていっても、本来あなたの心の中に必ずあるものだしね。
それとね、人と自分が違うんだってことも分かった方がいいの。
他人と自分を比べることをやめるの。
同じ人っていないんだよ。
目だって、鼻だって、指紋だって違う子DNAも全然違う。
一つも同じものってないんだよ。
幸せになりたいならば、これから先は、自主性を持たなければ幸せにならないよ。
自主性って、とっても大事になってくるの。
人任せっていうのは、20世紀で終わったんだよ。
昔はね、家老の家に生まれると、家老になるって決まっていたから、親の言うことを聞いて、家老という型にはめられてそうなる時代だったんだよ。
だけど、今は時代が変わって、魂も変わったから、親よりも自分に素直になって自分で生き方を決める時代にも誰でもが生きているの。
そこで高級なお肉より、安いお肉の方が美味しいっていう人もいる。
それはもう、個人の自由なの。
高いお肉が心から好きなら、その人はそれでいいんだよ。
それが駄目って言う話じゃないの。
あなたのその意見は、「本当に自分の意見ですか?」って言っているだけなの。
自分の意見なら問題ないの。
それは違うとか、こっちの意見に従うべきだっていうのは、よくないよね。
魂の時代っていうのは、自分本位の時代ってことなの。
だって、魂にしても人それぞれで、全部違うんだから。
少し前の時代までは、貧しくて食べるのもままならない時代だったから、みんな我慢して周囲に合わせていたんだよ。
自分だけ勝手なことを考えちゃいけないとかね。
だけど、今は豊かになったから、自由にしていいの。
例えばだけど、池の水が干上がってくると、そこにいる魚たちは、みんな近くに集まって来るんだよ。
そして、しまいにみんな口から泡を吹いて、その泡の中に隠れようとするんだよ。
乾燥しないように、みんなで命を守るんだね。
助け合いってそういうもんなんだよ。
ところが、水が満ちてきて、また池が戻るようになると、深く潜る魚も出てくれば跳ねるようになる魚も出てくるの。
それぞれが自由になって泳ぎ出すんだよ。
豊かになるってことは、そういうことなんだよ。
みんな同じという時代が終わって、これからは、もう違う時代なんだよ。
非常時のケースは、すでに学んでいるから、地震が来てもすぐに付き合えるんだよ。
そういうのはもう経験してきているからね。
だから、これから学ばなきゃいけないのは、それぞれが幸せになるっていう「魂の時代」が来たってことを理解することだよ。
地震があると、地震に対する対策や行動ができるのは、もうみんな学んでいることだからだよ。
それはこれまで何千年もかけて学んだことな。
これから学ぶべきことは、私は幸せになる、あなたも幸せになれる、ということなんだよ。
私には私の考えがあり、あなたにはあなたの考えがあるってことなの。
わかるかい?
夫婦になって、「俺が幸せにしてやるよ」って言ったところで、そんなのできないよって話なの。
たとえ夫婦っていっても、幸せの価値観て違うしね。
自分のことは自分で幸せにすればいいの。
素直になってみるとできるんだよ。
あなたの魂は、もうそのの方法がわかっているからね。
質問5 あなたの行動
今までの行動や行為の中で、
自分は「無理をしている」と感じたら
どうすればいいですか?
斎藤一人さん
そう思ったらすぐやめるの。
もっと自分に素直になってみて、また次に良い答えを探してみればいいんだよ。
何回だって挑戦すればいいんだしね。
「まいった」って言わなければ、人っていつまでだって挑戦できるんだから。
そのためには無理だと思うことをいつまでもやってないで、さっさと次の手を考えて前に進めばいいの。
よくね、やめたいけど、やめられないんですっていう人がいるんだけど、そういう人はやめなきゃいいの。
やめないとどうなるかが分かるから、それでも学びになるの。
やめないとどうなるかを、素直に学べばいいんだよ。
もしかしたら、やめない人の方が正しいのかもしれない。
それで成功するかもしれない。
要は、やってみなきゃわからないってことだね。
質問6 あなたの言葉、行動、それから顔に愛がありますか
一人さんご自身が、
素直さのために気をつけていることって
ありますか?
斎藤一人さん
とにかく自分に素直でいることだね。
それと、自分の話す言葉や、行動、それから顔に愛があるだろうかって、いつも気をつけているね。
気をつけているって言っても、いつもそれを考えているわけじゃないよ。
でも「自分はどうだろう?」って二日に一回とか、三日に1回ぐらいは考えるかな。
できるようになればなるほど、そんなことを考えなくなるし、当たり前にできるようになっていくからね。
人を見ていても、素敵な言葉を話したり、行動が素晴らしかったり、素敵な笑顔の人に会って、自分も取り入れたいって思って、素直に学ぶようにしているよ。
そう思ってみると、世の中って素敵な人であふれているし、自分の学びになる、素敵な愛のお手本みたいな人っているもんだよね。
追伸 素敵の種まきをしていると、どんどん豊かになるんだよ
昔の映画で『オズの魔法使』というのがあったんだけど。
お家に帰りたい女の子と、臆病なライオンと、藁でできたかかしさん、ブリキ男が、オズの魔法使に会いに行くお話でしょう?
そうそう、その映画に出てくるブリキ男というのは、自分の体はブリキでできている中が空洞だから「心が欲しいんだ」って、魔法使いにお願いするのね。
でも本当は、魔法使いに会いに行かなくったって、心があったんだよね。
だって「自分は心が欲しいんだ」って思ったんじゃない? ブリキ男は。
「心が欲しいんだ」という思いだって心なんだよ。
それでも「心が欲しいんだ」としたらね、小さなステッキをちょっとずつ集めればいいんだよな。
自分の心が「素敵だなあ」って感じるものってあるでしょ。
例えば、優しくて素敵な人が話す言葉には愛があって、顔から火が出ていてとかって、あるじゃない?
言葉の選び方とか、仕草を見ていると「こういう時は、こうすれば素敵なんだな」とかって思うことがあるでしょう。
そういうものを集めるんだよ。
集めると言ったって、素敵なものは集めようって思うだけでいいんだよね。
なぜなら、自分が心に思ったものと、後で必ず出会うようになっているんだよ。
心って、まるで磁石のようですね。
そうだよ。
心に思ったことを引き寄せるんだよ。
そうやって素敵を集めたら、後は脳が場面に応じて、あの素敵な言葉を隣にいるあの人に行ってあげよう、とか。
挨拶する時はあの素敵な笑顔をしよう、とか。
脳が自分に指示を出してくれるんだよ。
そうやって、素敵なことを周りの人にする、というのも「愛語」でしょう?
そうだね、「愛語」だね。
「愛語」って周りの人のことも幸せにするけど、「愛語」で生きている当人も幸せだよ。
だってさ、「愛語」で生きること自体が喜びなんだもん。
そう思わないかい、みっちゃん。
はい、本当に。
ありがたいです、一人さん。
全てに感謝です。
「愛語」で生きること自体が喜びだから、そうやって生きてる人の顔は「愛顔」といって、愛の波動が出てる顔になるんだよな。
周りの人は、その愛の波動に触れただけで幸せになっちゃうし、その波動が出てる人に、なぜかまた会いたくなっちゃうんだよ。
だから、「愛顔愛語」の人は、絶対、幸せだよね
「愛語」で生きているのに、ずっと心がモヤモヤしたり、イライラしたりしているんだとしたら、それは自分が自分の魂が求める生き方をしていない、ということなの。
「私のことはいいから、あなただけでも幸せになってね」という観念が、心のどこかにあるのかもしれない。
それは、その人なりの「愛」なんだと思うのね。
ただ、その、自己犠牲的な考えを神は「良し」としないんだよね。
大いなる神の願いは、みんなの幸せなんだよ。
「愛語」も、みんなが幸せになる生き方なんだよ。
自分にもよくて、相手にもいいこと、それが「愛語」なんだよ。
斉藤一人さんのお話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
www.youtube.com https://youtu.be/Wxo-28NMe-k
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