コンクラーベ

斉藤一人さん ゴータマ・シッダールタ

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目次

 

 

 

 

自灯明

人間はまだまだ未熟で
まだまだ不徳であるんですね。

 

 

未熟というのは
例えば
能面を作る日本一の人でも
技術的に自分が未熟であると
思ってる人は
どんどん伸びていきますね。

 

不徳はお釈迦様やキリスト様と
比べると
自分の徳はとても小さくて
まだまだですという人は
これからも上に昇っていきます。

 

昇りのエレベーターに

乗ってるように
どんどん昇っていきます。

 

ところが

自分はもう偉いんだとか
人に自慢したり 、
逆に言うと些細なことでいじけたり 、
奢ったり高ぶったり
人に対して横柄な態度を

とり出したり しだすと
その人は

下りのエレベーターに乗ったように
すっと落ちていきます。

 

だから一生涯上り続けていくために
自分の目の前にあることで
自分を精一杯に磨くのが良いですね。

 

一生かかってもいい、
紺瀬できなくても
そういう仲間を増やして
ゆっくりと励んでいくのがいいですね。

 

そして自分がまだまだ未熟で
徳の足らない人間である
ということを認識して欲しいですね。

 

死ぬまで自分を励まして
進んでいってくださいね。

 

悟りの段階

悟りの段階というのが
あるんですけども
貴方が誤解しているのは
例えば
悟りというのは
心が穏やかになり
幸せな気分になり
悩み事とかがなくなる
ということが悟りと
思ってる人がいてますよね。

 

そのことは悟りではないです、
自分の気持ちが穏やかになったり
おおらかになったり
ずっと自分のことを言ってますね。

 

終始一貫
自分のことを
考えてる人を
エゴと言います。

 

そういうことではなくて
例えば 自分の親とか兄弟とか
周りにいる人がいますね。

徳について
どういう風に伝えれば
周りの人が聞いてくれるのかを
一生懸命に考えるんですね。

 

そのことは貴方にとって
一銭の得にもなりませんね。

 

一銭の得にもならないことを
どうすれば相手の人は
聞いてくれるだろうかと考えていて、
人のために愛のある方便を
随所随所に 方便を
相手によって

使い分けられることが良いですね。

 

法灯明

お釈迦様は自分が悟ったから
もうこれでいいとは言わないで
幸せな顔をして生きていたのではありませんね。

 

お弟子さんを集めた時に
宇宙の大真理
つまり深遠なことを
例えば学問のないお百姓さんが
弟子になりたいと来た時に
麦を収穫したい時に
麦の種をまきますね、
それって当たり前ですよね。

 

あなたが幸せになりたければ

相手を幸せにしたければ
その徳の種をまいて
絶対にその徳が出てきて
刈り取るんですね。


変なことをして
人の嫌がることをしていると
やがてはその実を
刈り取る時が来ます。

 

そういう風にお釈迦様は
お弟子さん達に教えています。

自分は悟ったんだと
言ってるのではなくって
悟りを開いた後に
人様のお役に

どうすれば立てるのだろうか
その事に死ぬまで

お弟子さん達を連れて歩いて
横になっても周りにお弟子さん達がたくさんいて
死ぬ前まで涅槃の床まで教えていたんですね。

 

周りのお弟子さん達は
お釈迦様が死ぬ間際まで
何かお言葉をと待っていたんですね。

 

そこまでお釈迦様は尽くしていたんです。

 

自分が悟って
自分は悟りましたとは違います。

 

心を治すためのものですから
どうせ伝えても
わからないでは駄目ですね。

 

病人に病院に入れないと
言ってるのと同じです。

 

親でも兄弟でも
自分はあの人のことは嫌いなんです。

 

嫌いとは自分で自分の機嫌を
取れない人だからですね。

 

全力を尽くさない人だから
嫌いなんですね。

 

徳のない人だから嫌いなんですね。

 

相手は知らないんですから
その人たちには教えるんですね。

 

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その時に

どうすれば聞いてくれるか
人様のためにじっと考えて
それで一生懸命に行います。

 

皆さんがしないのは
一銭にもならないし

つまり得ではないからです。

 

得にならないことをしない人は
徳もない人と言います。

 

ダルマの行い

良い行いをすることの結果を
ダルマと言います。

 

悪い行いをすること の結果を
カルマと言います。

 

人間は前世から持ってきたもの
紺瀬に作った 物を変えることを
ダルマの行いといいます。

 

ダルマの行いをずっとしていると
悪いことは解消されてきます。

 

拝み屋さんだか何だか知りませんが
偉い人がいて
貴方のカルマを解消するためには
このような呪法を行えばいいんだ
と言って
お金を出しなさい とか言いますが
悪い因果を解消するには
貴方が徳を積むしかないんです。

 

お金を出して
解決するというやつも
おかしいですが
お金を出せば
済むと思ってる方が
おかしいですね。

 

因果は金で買えません。

そういうことを思うこと,、
考えることが因果を積んでるんですね。

 

それより良い行いをして
あなたの笑顔をちゃんとして、
人様にできることをして
相手のためになることを考えてくださいね。

 

相手のことを真剣に考えて
この人にはこれなんだ、
政治家にも同じことを伝えて
うまくいったからといって
18歳のの青年に政治家の話をしても
おかしいだけですね。

 

一生懸命に
徳を積むことをしても
失敗することもあります。

 

失敗しても
ここを改良して
今度は言い方も変えて
すぐに起き上がるのが最良ですね。

 

ダルマさんは
七転び八起きと言いますが
100回転んでも100回起き上がりますね。

 

それを繰り返して
だんだん上手くなります。

入滅まで

失敗すれば
全くあいつは
ダメなんだからと言って
人の責任にすれば
もうその時点で徳ではなくなっています。

 

自分の伝え方が未熟だったから
今度は改良して伝えよう
相手のためにそこまで
考えられるのが
素晴らしいですね。

 

何も考えずに伝えれば
徳は一点ですね。

 

100点ぐらいの徳を
積んだつもりでいるけれど
相手のために
相手が聞きたくなるような
方便で伝えて欲しいですね。

 

お釈迦様は80何歳で亡くなったんですけれども
あの当時としてはとても高齢でした。

 

涅槃に入ってまでも
お弟子さん達に説いて説いて
法を説いていたんですね。

 

木こりや王様も来るんですね。

 

王様なら王様にわかるように説きます

乞食の人もライ病の人もいます。

 

そういう人たちに

どうすればいいかをずっと
考えて行なっていたんですね。

 

自分は悟りを開いて

自分はわかりましたでは
徳という意味では1点です 。

 

自分の幸せばかり考えてる人はエゴですね。

 

エゴと悟りは

大きな隔たりがあります。

 

人様のお役に立ち出したら
どんどん悟りの道に入っていきます。

 

宗教的な話ではなくて
それが幸せなんですね。

 

心の問題であり
仕事でも同じですね。

 

心の問題ですから
どんどんそれを

やって行けばいいんです。

 

方便というのは
嘘をついてもいいと
いうことではありません。

 

相手に分かりやすい説明を
してあげるということなんです。

 

どうすれば相手が分かってくれるか
という意味のことを伝えてるんです。

 

方便と嘘とは違います。

 

相手にわかりやすく
愛情をもって
どのように説明すればいいかですね。

 

死ぬまでしてください。

 

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斉藤一人さんのお話を纏めました。

 

皆様、いつもご精読有り難う御座います。 

 

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