とっても簡単なことなんです。
いつも言っている言葉を変えるだけ。
たったこれだけで、すぐ幸せになれるんです。
何が起きても、「よかった」
天国言葉セットの中には入っていませんが、「よかった」も、天国言葉のひとつです。
私が一番よく使うシーンは、電車に乗り遅れそうになった時。
ダーッとダッシュして、「ああ、間に合った。よかった」と、ほっと一息。
こんなことは当たり前ですが、一見よくなかった時にも「よかった」と使えるようになってこそ、天国言葉の達人です。
電車の中で寝過ごして、目が覚めたら知らない駅。
でも、「電車がまだあって良かった」。
もし、終電が出てしまった後なら、「タクシーが拾えてよかった」、遠いところなのに迷うことなく運転してくれたら、「家までの道を運転手さんが知っていてよかった」。
せっかく南の島に遊びに行ったのに、台風に遭遇。
ヤシの木が大風に揺れてしなり、滞在中、まっすぐに立っているヤシの木が見られなかったなど、残念そうに話す人がいるけれど、そんな南の島を体験できたなんて、すごく珍しい体験。
楽しいお土産話もいいけれど、珍しい話は聞いている方だって興味津々です。
みんなの記憶に残る旅行ができたなんて、とてもラッキーだったのです。良かったですね。
じゅんちゃんの車のフロントガラスに傷がついて、歯を食いしばって、「つ、ついてる」なんていう話は、いつも講演で大ウケです。
みんなを笑いの渦に巻き込んでいます。
あんなに喜んでもらえて、しかも、どんな時でも「ついてる」と言うということをこれほど印象づけるエピソードはありません。
じゅんちゃんにはごめんなさいだけど、こんなに喜んでもらえるなら、本望だと思います。
どんなについてないと思うようなことも、いかに笑いに変えられるか。
いいことに転換できるか。
本当に素敵なエピソードができて、よかった、よかった。
良かったことなんて、そこら中に転がっています。
何があっても「よかった」。
そう言えるようになった時、あなたに良きことが雪崩のごとく起きるようになるのです!!
1日何回「幸せ」と言えますか?
幸せになりたい・・・・誰でも、そう思いますよね。
私もそう思っていました。
「一人さん、私、幸せになりたい。どうしたら幸せになれるの?」
私の質問に、一人さんはこう答えたのです。
「はなゑちゃん、幸せは、なるものじゃなくて、気づくものなんだよ」
そうなんです。
今、幸せじゃないと思っている人は、身の回りの幸せに気がついていないだけなのです。
今、低価格で可愛いお洋服が買えるお店が増えています。
私は、そんなところで買うのが大好きです。
500円ぐらいで何着も買えるし、「可愛い!!それ、どこで買ったの?」「可愛いでしょ、〇〇で、〇〇円だったの」
「えー、うそー、いいなー」なんて言ってもらえたりもします。
それなのに、「お金がなくてブランドのバッグが買えない」とか、「いつも安物しか着られない」なんて文句ばっかり言っているから幸せじゃなくなってしまうのです。
幸せが身の回りにゴロゴロ転がっています。
あなたが会社員だったら、いつも使っているペン、会社のものではありませんか?
ただでペンを使えるなんて幸せですよ。
嫌な上司がいると言うけど、勤めているからこそ、上司がいるんです。
リストラにあったり就職できない人がたくさんいるという今の時代、仕事があるだけで幸せです。
家があって食事ができることも当たり前だと思っているかもしれませんが、リストラで家を失って食事も満足に取れなくなってしまった人もたくさんいます。
朝、目覚めた時、息をしていることだって幸せなのです。
旅行から帰ってきて、「お天気、どうだった? 台風が来ていると言うから心配しちゃった」と、言われたことはありませんか?
そんな風に心配してくれる人がいるだけで幸せです。
そうやって数えていくこと、自分は本当に幸せなんだと気付きます。
気づいた時から、あなたの人生は、幸せに満ち満ちていることがわかります。
1日に四つ以上の幸せを数えてみてください。
「生きていて幸せ」「ご飯が食べられて幸せ」・・・なんでもいいんです。
そのうち、四つでは全然足りなくなってきます。
友達にランチに誘われるのも幸せだし、可愛いバッグを見つけて幸せ、家族が元気で幸せ・・・なんて、幸せを数えていったら、きりがないくらいです。
だから、四つじゃなくてもいいんです。
五つでも10でも、50でも100でも、幸せだなぁと思ったら、どんどん数えていってください。
幸せにたくさん気づいた時、「私、こんなに幸せでいいのかしら?」なんて言ってはだめですよ。
そんなこと、チラッとでも思ってはいけません。
幸せは際限なく訪れていいのです。
よく人生はプラスマイナスゼロ、いいことが起こったら、それと同じくらい悪いことが起こるというようなことが言われますが、そんなことはありません。
いいことが起こる人は、雪だるま式に良いことが起こります。
反対に不幸な人は、次々に不幸が行ってきます。
「泣き面に蜂」といいますよね。
だから、今は不幸だけど、人生プラスマイナスゼロだから、そのうちきっといいことがやってくると思うのも、間違いです。
今、不幸な人のところに幸せは行ってきません。
今、幸せだと気付いている人にだけ幸せは行ってきます。
たった今から、幸せを数えてください。
一人さんは、「人間は万物の霊長」だと言います。
どういうことかと言うと、人間だけが、あらゆる波動を出せるから。
「幸せだなぁ」と思えば、幸せの波動が出せるし、「こんな人生、嫌になっちゃうな」という波動も出せる。
人間は、色々な思いや言葉で、自由に波動を変えられるし、その波動が、次から次へと同じような波動の出来事を呼び寄せる。
つまり、人生を創造できるというのです。
あなたの人生は、あなたの思ったとおりになるのです。
幸せになりたかったら、言ってくださいね。
「幸せだなぁ~」って。
「許します」は、自分を好きになる言葉
「あの人ったら、あんなことをして許せない」
そう思うこと、ありますよね。
でも、誰かを恨んでいては、絶対にいいことは起きません。
私達は一人さんにこう教わりました。
「誰かを恨んだり、妬んだりしながら匹幸せを引き寄せることは絶対出来ないんだよ。
なぜなら、自分が誰かを憎んだりしている波動を出していると、嫌なものがその波動に引き寄せられてくるから。
誰かのことで頭がいっぱいになるぐらい恨んでいたら、天地がひっくり返っても、その人は幸せになれない。
嫌な奴のために、自分が不幸になるなんてバカバカしいだろう」
許せない人がいるときは、思ってなくてもいいから、「〇〇さんを許します」と言ってみましょう。
もし言えない時は、「許せない自分を許します」と言ってください。
何度も言っているうちに、不思議と嫌な人の事が気にならなくなります。
でも、世の中には「自分を許します」と言えない人も多いんです。
講演などで、「自分を許します。自分が大好きです」と、みんなに言ってもらうことがあるんですけど、言えない人が結構いるんです。
最初は驚きました。
自分を許せない人がいるなんて!!
自分を好きじゃない人がいるなんて!!
人を許せないという人の多くは、自分では気が付いていないかもしれないけれど、自分を許せないのです。
心のどこかで「自分はダメな人間なんだ」「自分なんて・・・」と思っていると、「自分を許します」という言葉も、なかなか言えません。
中には、「自分なんて生きていても仕方がない」と思っている人もいます。
なぜ「自分なんて」と思ってしまうのでしょう。
最初は「自分なんて」という人の気持ちがわかりませんでした。
なぜなら、私から見たら、いいところがたくさんあるがんばり屋さんばかりだから。
自分を許せなかったり、自分を好きだと言えない人たちの話をよく聞いてみると、親との関係がうまくいってない人が多いのです。
と言っても、暴力を振るわれたとか、「お前なんか産まなきゃよかった」と言われたという人は稀で、ほとんどの人は、傍から見たら何も問題のない親子関係に見える人たちです。
でも、「何をしても褒めてもらえなかった」とか、「親の言いなりじゃないと可愛がってもらえなかった」とか、「そのままの自分を愛してもらえなかった」とか、「親の期待に応えられなかった」など、色々鬱屈した思いを抱えてしまい、知らないうちに自分に自信が持てなくなってしまったのです。(詳しくは、『地球が天国になる話』斎藤一人著 KKロングセラーズを参照)
実際、「常に成績が学年トップでなければ自分の子供じゃない」なんていう親もいるようです。
私の親がそういう人だったら、どうなっていたかと思います。
つまらない誤解から関係がうまくいかなくなったという話も、山ほどあります。
例えば、お母さんにプレゼントをあげた時、どんなに喜んでもらえるかと思ったら、ろくに見もせずに脇にポンと置かれたのを見て、「ああ、自分は愛されていないんだ」と、ずっと思っていた人がいました。
でも、ある時、お母さんがそうしたのは照れくさかったからで、本当はすごく嬉しかったというのを聞いて、長年の誤解がふわっと解けたとか。
こんな人もいました。
その人は、中学生の時血液検査をしたら、父親と血の繋がりのないことが分かってしまったのです。
その人は、母親が不倫をして自分を産んだんだと思い込みました。
母親に問いただすことはしませんでしたが、ずっと心を閉ざし、大学入学と同時に逃げるように家を出て東京で暮らし始めました。
疎遠な関係が続いているあるとき、お父さんが手術をすることになりました。
お見舞いに行き、何気なくベッドの枕元を見たら、父親の血液型が書かれていて、本当は自分と同じ血液型だったんだそうです。
お父さんはずっと自分の血液型を間違えていたそうです。
つまり、これまで信じていたことは間違いで、本当は正真正銘の親子だったのです。
山崎豊子さんの『華麗なる一族』では、これと逆のパターンが書かれていましたよね。
夫は妻の不倫を疑って、長男が自分の子供ではないとずっと思い込み、長男の事業の邪魔ばかりして、とうとう自殺に追い込んでしまったけれど、その後で本当は自分の子供だったとわかる・・・・・・。
人間って、勘違いで、幸せになったり、不幸になったりするんです。
同じ勘違いなら、幸せになったほうがずっといいですよね。
自信のない人や「自分なんて」と思っている人は、何かの拍子にそう思ってしまっただけで、大方は全くの勘違いなのです。
ほとんどは、周りにいる人たちの未熟さが原因で、勘違いしてしまっているのです。
本当は、素晴らしい人たちなのです。
私の知り合いのお嬢さんは、お父さんから本当に可愛がられ、「お前は世界一可愛い、世界一可愛い」と言われ続けて育ったそうです。
だから、彼女も自分が世界一可愛いんだと思い込み、「いつか女優になるんだわ」と思っていたとか。
「どうやら世界一可愛いと言ってくれるのは父親だけだ」と気付いたのは、高校生になってからだったと言います。
確かに世界一可愛いとは言えないにしても、天真爛漫な魅力的なお嬢さんです。
心にどんな鬱屈したものがあったとしても、「許します」と言ってしまえばいいんです。
だって、鬱屈の元は自分の勘違いかもしれないのですから。
だったら、そんな鬱屈を抱えているなんて、ばかばかしいですよね。
どうしても「自分を許します」と言えなかったら、「許せない自分を許します」と言ってください。
「許せない」という言葉には、体や気持ちを固まらせる何かがあるんです。
癌細胞のように体も気持ちも蝕みます。
それに人や自分を許せないまま幸せになることはできません。
幸せになりたいなら、思い切って「許します」と言いましょう。
心も体もゆるんできます。
そして、言っているだけで、いつしか本当に許せる自分になっています。
ただおちゃんの「感謝してます」
一人さんの弟子の中で「感謝してます」の威力を最初に体験したのが、遠藤忠夫さんです。
ただおちゃんは、私の幼馴染。
私が喫茶店「十夢想家(トムソーヤ)」をやっていた頃の常連客の一人で、私と一緒に一人さんの話を、いつも熱心に聞いていました。
その頃ただおちゃんは自動車教習所に勤めていて、上司のいじめに悩んでいました。
朝、挨拶しても無視。
仕事の評価が低く、それに従ってボーナスも少なめ。
現場より上のレベルの事を教えられる資格を持っているのに、いつまでたっても仕事のレベルを上げてもらえない・・・などなど。
悩むただおちゃんに、一人さんは、「上司との関係が良くなる、とっておきの言葉を教えてあげよう」と言いました。
それが、
「感謝してます」
「明日、勤め先に行ったら、その人に笑顔で『感謝してます』と言ってごらん」
そうひとりさんに言われた時の、ただおちゃんの顔は今でも忘れられません。
まるで鳩が豆鉄砲をくらったような、呆然とした顔をしていました。
それはそうです。
いじめられている相手に「感謝してます」なんて言えませんよね。
今では、「感謝してます」という言葉が、どれくらいパワーを持っているか分かりますが、なにせ当時は、私はまだ「まるかん」の仕事を始めていない頃。
一人さんは、時々「十夢想家」に きて、不思議なお話をしてくれる紳士という感じで、「感謝してます」という言葉がどれほど大切な言葉か、まだ分かっていませんでした。
「思っていないことは言ってはいけない」と言われて育ちましたし、思っていないことを言うのは、なかなか難しいものです。
ただおちゃんも、最初は絶対に言えないと思ったようでしたが、 一人さんに、「心で思ってなくてもいいよ。呪文だと思って言ってごらん」と言われて、言ってみる気になったようでした。
次の日、ただおちゃんは興奮して、「十夢想家」に行ってきました。
「今日、上司に『おはようございます。感謝してます』と言ったんだよ。
そうしたら、いつも挨拶しても無視する上司が、ちょっとびっくりした顔をして、『ああ、おはよう』と言ったんだよ」
さらに、
「今までどんなに頼んでもやらせてもらえなかった仕事を、『来週から、やってみるかい?』って言うんだよ。
その上、『今度一緒に飲みに行こう』とも言われちゃったよ」というのです。
やっぱり「感謝してます」は奇跡の言葉です。
こんなただおちゃんが会長を務めているのは、「感謝の会」。
1日3人以上に、声を出して「感謝してます」ということを、百日続けようという会です。
人に言うのは恥ずかしいという初級者は、まずはものに言うことから始めましょう。
車に、「いつも色々な所に連れて行ってくれて感謝してます」とか、靴に「毎日たくさん歩いてくれて感謝してます」、あるいは道端に咲く花に「いつも心を和ませてくれて感謝してます」と、人以外のものに言ってみてください。
そのうちに、人にも自然に言えるようになります。
追伸 自分にゆるく他人にもゆるく
私たちの顔は、1人1人、みんな違います。
それと同じように、幸せのなり方は一人一人、みんな違います。
違うからといって、互いに「こっちが正しい」と言い争っていたら・・・。
「こっちの顔が正しい」「いや、私の顔が正しい」と言い争っている人達を見て、あなたは。「この人たちはおかしい」と思いますよね。
だから私は思うのです。
やっぱり、一番素敵なのは、お互い、自分が好きな幸せのなり方で幸せになればいいんだ、と。
そして、互いに「あなたも幸せで、私も幸せ。よかったね」と言い合える関係がいい。
と、思っているのだけれど・・・・・・。
人間には「求道心」というものが備わっています。
求道心とは、真理を求める心。
真理とは、各自が幸せになるために役立つ道具です。
もっと言わせていただけるならば、あなたが幸せにならないものは、あなたにとって、それは真理ではないかもわからない。
というような考えを、私、一人さんは持っている人間です。
もう一度、言いましょう。
あなたが幸せになる考え方、生きる指針は、あなたにとって真理です。
でも、あなたのその真理で私が幸せにならないとすれば、それは私の真理ではない。
私の真理は、私が幸せになるのに役立つものなのです。
こんな風に、互いの真理が違っていても、お互いがそれぞれ幸せであれば、「それでOK、よかったね」なのです。
そんな風に、ゆるく生きる。
人に対してもゆるいけど、自分に対してはもっとゆるい。
それが、私、一人さんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
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我が儘勝手で申し開きもございません。
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お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。