「いつか」と言ってる人間は、大概、ずっとやらないよ。
「いつか」とは「やらない」こと
前に、「一人さんファンの集まるお店」に来た男性で、「私の夢は、小さなコンサートホールを借りて、3曲か、4曲ぐらいでいいので、ピアノのリサイタルを開くことです」と言った人がいたのね。
その男の人は15年間、ピアノを習ってるらしいんだけど、未だに楽譜を読めないから、音符に全部、ド、レ、ミとか書いて、やってるらしいの。
この話を聞いて、みんなどう思った?
「リサイタルはまだまだ無理だ」と思わなかったかい?
だとしたら、自分の頭、切り替えた方がいいよ。
人生、うまくいかない人の特徴はね。
「無理」という言葉が多いの。
何かにつけて、「無理だ」「無理だ」って言うんだよ。
俺だったら、4曲弾けるのなら、「4曲だけのリサイタル」というタイトルなんか、やればいいんじゃないかと思っちゃう。
その人はリサイタルを開きたいと思ってる、「リサイタルをやる」ことが目的だと言う、ここだけを俺は見ちゃうんだよ。
だから、「今やっちゃえ、今やっちゃえ」って言うんだよ。
分かりづらいか、そうだよな。
分解しちゃうのが、俺の曲。
だから、物の捉え方が、みんなと違うんだよな。
何て言ったらいいかな。
本人が「リサイタルをやりたい」と言ってる。
ということは「リサイタルを開く」ことが目的で、その目的を果たせばいいんだと思っちゃうんだよ、一人さんは。
ところが、当の本人は「リサイタルをやりたい」と言いながらも、実は他の事を思ってる。
ピアノを上手く弾けた自分が、満場の拍手喝采を浴びている画面とかを思い描いているの。
だけど、現状は、音符を読めない上に、3、4曲ぐらいしか弾けない。
いや、3、4曲弾けるんじゃないの。
間違いなく、その3、4曲も下手なんだよ。
だから、「いつかやりたい」になっちゃう。
「いつか」と言ってる人間は、大概、ずっとやらないよ。
本当に、リサイタルをやりたいなら、とっとと、やっちゃいなっていうの。
リサイタルなんて今すぐできるよ、一曲でも弾けるならできる。
本当に「ピアノが上手くなって、みんなを魅了したいんです」って言うんだったら、なおさらだ。
やっちゃいな。
その方が絶対早く上手くなる。
未だに楽譜が読めないって言うけど、弾ければ、いいんだし、実際、今、弾けてるんだよね。
それで、例えば「6ヶ月後に4曲でコンサート開きます」って先に発表するの。
言うと同時に、上手くなっちゃう。
だって、「6ヶ月後にやります」って言っちゃったんだもん、必死さが違うよ。
わかる?
絶対発表しなきゃいけないんだと思ったら、その4曲を練習する時の、入れ込み方が今までと全く違うんだよ。
下手すると、その人が一生かかって上達するぐらいの腕に、6ヶ月でなっちゃう。
もっと言うと、今年行ったら、来年は2回目のリサイタルができる。
再来年には3回目ができるの。
そうやっているうちに、ピアノの腕は、ぐんぐん上がっちゃうんだよね。
それを、「上手くなってからやろう」なんて言ったら、いつまでたっても上手くならない。
ディナーショーだって、踊りの発表会だってなんだって、やりたいことがあるのなら、やっちゃいな。
「やる」ことが先なんだよ。
先にやらない限り、何も、物事が始まらないの。
この星は行動の星だから、「これやりたい」「ああなりたい」と思ってるだけじゃ何も起きないんだよ。
「成功」とは、ちっちゃな成功のつながり
「〇〇やりたい!」というのが神の声なんだよって、俺、突飛なことを言ってるように聞こえるかもわかんないけど。
信じられないかもわかんないけど、本当にそうなんだよ。
その声が、あなたを幸せに導いてくれる。
でも、私は、神の声とは、なかなか思えないんですって、そうだよな、わかるよ、俺。
もしかしたらね、あなたが聞いてるのは、神の声じゃないかもわかんない。
悪魔(浮遊霊)の声を聞いてる人がいるんだよ。
日頃から明るく生きて、人に親切にしてる人なら、ワクワクすることが神の声。
そして、神の指令通りにやると、自分も楽しいし、周りの人も幸せになる。
誰にも迷惑がかかんない。
悪魔の声だったら、暗い気分になるとか、陰湿になる。
だけど、神の指令の場合、考えるだけで気持ちが明るくなれるとか、楽しくなれるとか。
それで、誰にも迷惑がかからない、自分のできる範囲内でやれちゃうようなこと。
だから神は、俺たち人間に「無理してやれ」ということを、絶対言わないの。
自分の小遣いの範囲内でできることだったり、自分がそれをやるために必要な道具であったり、環境が、「すでに用意されてた!」「私はここに呼ばれたんだ!」という感覚。
だから、例えば、「ピアノのリサイタルをしよう」と思った時に、区民センターを1万円か2万円ぐらいで借りられて、しかも、そこにピアノが置いてあった、とか。
リサイタルをやるのに「ピアノを買わなきゃいけない」じゃなくて、すでに、できる環境が整っている。
だとしたら、それはやるべきこと、神の道なんだよ。
成功の道とは、ちっちゃな成功が繋がってる道なの。
わかるかな?
10年後にはピアノのリサイタルができるからって、最初からいきなり目的地に行くんじゃないの。
本当は、10年後にできるんだったら、毎年一回、10年続けてピアノのリサイタルをやっちゃったほうが、「私が弾くピアノで聴衆を魅了したい」という夢の実現が早いんだよ。
10年後にこういうリサイタルを開きたいって、10年後を思い描くより、今から始めて、10回リサイタルをやっちゃった方が絶対、上手くなる前に、楽しみながら行ける。
だから成功とは、ちっちゃな成功が繋がってる道なんだよ。
「ゆうゆう」さんの妹の場合、まず、俺が「ゆうゆうメガ」さんに行ってきた。
その時、本人が「来世、ディナーショーをやりたい!」という話をするんだよな。
そしたら、俺が「今年やろう!」って。
この俺の言葉に、その場にいた妹さんの友達が、「いいね、やろう、やろう」と言ってホテルに電話した。
それでディナーショーをやって、会場に来た人たちが喜んだ。
そしたら、また来年もディナーショーをやりたくなって、結果、毎年の恒例行事みたいになったんだよな。
だから、段階、段階を踏んで、ちょっとずつ大きくなるの。
いっぺんになるんじゃないんだよ、目の前のことを一個一個クリアしながら、それが成功に繋がっていくんだ。
ディナーショーと、成功と、どう関係があるの?って思う人がいるかもしれないけど、実際、全ての成功がこういう道のりになっているんだよ。
それを、はじめの一歩目も出してない、ちっちゃな成功をつなげてもいないのに、いきなり「10年後にこうなりたいんです」って、なるわけがない。
10年後のことより、まず今あなたが歩く道を作るんだ。
すでに、神は道を作る材料を、あなたに与えてくれている。
その一歩が、成功につながる神の道なんだよ。
大木になりたければ、まずはちっちゃな芽を出す
いいかい、大木になりたかったら、まずちっちゃな芽を出すんだよ。
ちっちゃな芽は、風雪に耐えながら、でかくなる。
自分は大木になりたいです。
だったら、ちっちゃな芽のままじゃなく、ちっちゃな木になるの。
その次は、中ぐらいの木になる。
いきなり大木が、出るわけないんだよ。
だから、成功とはね、神の道理なんだよ。
道理をちゃんとやらなきゃいけないんだよ。
だけど、その道理が、神の言う通りにやると、あまりにも早いから奇跡に見えるんだよ、人の目から見たら。
それから、誰の所にも神のひらめきが来てる。
誰だって、神の声を聞いてるの。
聞いていながら、世間のつまらない常識の方にとらわれちゃうんだよ。
「これ、やりたい!」と思うもの、そしてそれにわくわくするんだとしたら、神の声なの。
あなたが明るくて人に親切なら、ワクワクすることをやってごらん。
小さなことから始めるんだよ。
いきなり大きなことは神の道理じゃないよ。
小さな成功をつなげて、大きな成功に育てるんだよ。
これが神の道理だからね。
神の声は、素直に聞いたほうが、人生、うまくいくんだよ。
もし、あなたに、何のお知らせも、わくわくも、ないんだとしたら、無理なく出来る範囲内で人のためにただつくせばいい。
人の喜ぶことをやればいいの。
それってね、荒地を耕してるようなものだよ。
まずはね、人には愛のある言葉を話し、笑顔にしてね。
いつも、優しくて笑顔でさ。
それを忍耐強くやってるとね、夢も出てくる、自分がやりたいことも出てくるの。
だけど、荒地にいきなりいくら種を蒔いたってね、何にも出てこないよ。
だから、今何の夢もないんだったら、ひたすら人生という荒地を耕すの。
心が固くなっちゃってるんだよ。
もっと人間らしく生きてごらん。
そしたら必ず、夢も出てくる、やりたいことも出てくる。
自分はこれをやりたいんだというのが出てきたら、今度は、それを、自分がやれるところから、一歩でも近づけるの。
そうすると次が出てくるの。
そしたら、またその次、またその次と、やることが出てくるの。
分かったかい?
なんか、今日も熱弁をふるってしまいました。
ありがとう。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
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