「我以外皆師匠」っていう言葉があります。
この言葉の中には、「気に入らない人が、あなたを一番成長させてくれる」って事も入っているんです。
気に入らない人が、あなたを一番成長させてくれる
先ほども言いましたけど、私はたくさんの社長や経営者の人を見てきました。
若い頃、パーティーに行ったら、乾杯の前に、ある社長さんが前に出てきて話を始めたんです。
その話が、長いのなんの。
せっかく注いだビールの泡も消えてしまいました。
それを見た時、こう思ったんです。
「この人でも社長が務まるのだろうか・・・・・・」と。
だって、みんな喉が渇いていて、一刻も早くビールに口をつけたいと思っているのに、その気持ちもわからない。
目の前の人の気持ちも分からない人でも、社長が務まるのでしょうか?
「それだったら、俺はもっと偉くなる」
私はそう思ったんです。
私の近所には、ヤクザでベンツに乗っている人がいました。
それを見て、思ったんです。
「堅気の人間がヤクザに負けちゃいけない。俺は、まともに働いて、まともに税金払って、ロールスロイスに乗ろう」と。
近所や会社を見渡して、「あの野郎、ふざけるな」って思う人がいたら、猛然と勉強してください。
それで、その人を抜いた時に、
「あの人がいたおかげで、今の私がいるんだ」
「あの人は、観音様の化身だ」
そう思うんです。
「我以外皆師匠」っていう言葉があります。
この言葉の中には、「気に入らない人が、あなたを一番成長させてくれる」って事も入っているんです。
それなのに、一生、恨み事を言っていたのでは、一生相手を抜けないんです。
猛然と勉強してください。
それで偉くなって、世間から、「あなたはどうしてこんなに顔晴れるんですか?」って聞かれた時に、
「大したことしていませんよ」
「みなさんのおかげです」
「ご先祖様のおかげです」
そんな風に、さらっと言うんです。
かっこいいでしょう?
自分で黙々と努力していると、周りから助けが出る
「自力の後に、他力あり」って、私はいつも言っています。
自分の力で一生懸命努力していると、それを見た周りの人から、助けが出るんです。
そして運も向いてくるんです。
随分前に、ものすごく荒れ果てた神社があったんです。
そこへ新しい神主さんが来ました。
その神主さんは働き者で、毎日、一生懸命掃除をして、一生懸命草取りをしていました。
そしたら、それは見ていた近所のおじいちゃん、おばあちゃんが、だんだん手伝うようになっていったんです。
一生懸命、自力で神社をきれいにしようとしている神主さんに感動して、応援が出たんです。
これが「自力の後に、他力あり」。
でも、自分で努力しないで、先に他力をお願いするっていうのは、駄目ですよ。
自分で一生懸命にやらないで、「人の応援が欲しいです」とか、「神の応援が欲しいです」とか、ふざけたこと言っちゃいけません。
たとえ、人の100倍努力していたとしても、
「みなさんのおかげです」
そう言うんですよ。
苦しい時に、腐る人もいる。もっと大きな人間になる人もいる
人生っていうのは、「順調な時」と「逆境で苦しい時」の二つの時期があります。
この「逆境の時」の過ごし方が大切なんです。
苦しい時に腐っちゃう人。
文句も言わないで勉強して、ぐんと成長する人。
この二つに分かれます。
例えば牛乳も、腐敗菌が入ったら、腐って飲めなくなります。
でも乳酸菌を入れたら、美味しいヨーグルトになります。
これと同じです。
西郷隆盛はある時、殿様の勘気に触れて、島流しになりました。
ずっと牢屋に入れられていたんです。
その時西郷隆盛は「俺は今まで国のためにやってきたのに」とか、文句の一つも言いませんでした。
牢屋の中で、黙々と『韓非子』(中国の春秋・戦国時代の思想書)など、本をたくさん読んで、もう1回勉強し直しました。
そして、牢屋から出た時には、前よりもっと深い知識を身につけた、すごい男になっていたんです。
西郷隆盛は、牢屋の中で、ヨーグルトやチーズになって出てきたんです。
人間としての「価値」が上がっちゃったんですよ。
自分自身を腐らせるか、もっと「価値」を上げるかは、自分次第なんです。
魔法の言葉は「君ならできる!」
人間というのは、元々どんな人でも、「いい素材」を持って生まれてきます。
でも、その素材を、腐らせるか、活かすかは、その人の「やる気」と「勤勉さ」にかかっています。
私が、お弟子さん達にいつも言っている「魔法の言葉」があります。
この言葉によって、自分が持って生まれた「良い素材」を生かすことができるんです。
それは、
「君ならできる!」。
この「君ならできる!」という言葉のポイントは、「この人は、本当にできるんだ」と信じて言うところにあります。
だって、「君ならできる!」と言いながら、「こいつ、本当はできないんじゃないかなあ・・・・・・」と思っていたら、教える言葉に熱が入りません。
そう思ったら、一生懸命、喋ることができないんです。
その人が、本当にできるからこそ、神様が私の前に連れてきているのです。
私も、本当にできると信じているからこそ、熱を入れて教えられるのです。
時々、私が教えたことに対して「それって、難しいですね」と言う人がいます。
私はその言葉を聞くと、悲しくなるんです。
その人は、きっと小さい頃から、「君ならできる!」って言われたことがなかったのでしょう。
何かすると心配されたり、失敗すると怒られたり。
慰められたことは、あったかもしれない。
でも、「君ならできる!」って言ってもらったことがなかったんです。
でも私は、その人が出来ることしか言っていないんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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