あぁ、これは人の悪口を言わないための修行だなって分かれば、人生はパット良い方向へその瞬間に変わります。
悪口や愚痴をやめると人生が変わります
もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、嫌な人と付き合わなきゃいいんだよね。
で、どうしてもその相手と付き合わなきゃならないんだとしたら、それは文句や愚痴を言わない修行なんです。
相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。
あのね、嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことがあると人の悪口を言ったりするからなの。
自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。
人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。
自分が変われば、全て変わるようになってるんです。
どうしてですかって言うと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。
あぁ、これは人の悪口を言わないための修行だなって分かれば、人生はパット良い方向へその瞬間に変わります。
この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。
私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、「この週刊誌、売れるといいね」って言います。
あのね、悪口を言うってことは、自分の畑に唐辛子の種を蒔いてるのと同じなんです。
人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、いったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種を撒くようなものだから、それを刈りとらなきゃいけなくなる。
ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、最初から唐辛子の種を蒔かなきゃいいんです。
念のために言っておくけど、唐辛子がいけないって訳じゃないよ。
これは例え話だからね。
ひっかけ問題をクリアすればご褒美が貰えるよ
愛って何ですかって言えば、優しくて親切な事なんです。
自分の出来る範囲で、人にやさしく、親切にすること。
じゃあ、人に優しく親切にってどういうことかって言うと、悪口や愚痴を言わないとかね。
基本的にはそれだけです。
それでうまくいくんですかって言えば、行くんだよ。
その証拠に、私はたったそれだけのことで、ずっとうまくいってるんだもの。
私の悪口を言っている人ってどこかにいると思うんだけど、その人がどうなったか、本人に聞いてもらえばいいよ。
言われても言い返さない。
そういう私の人生は、毎日幸せなんだよね。
一人さんは、人に嫌なことを言われてカチンとくることはないんですかって言えば、カチンとくるような時でも相手に文句を言わない私は、ご褒美が多いんです。
ムカッとするような時でも愚痴や文句を言わないでいると、神様がうんとご褒美をくれるんだよ。
普通、「これはさすがに黙っていられないな」って嫌なことをされると、つい文句を言っちゃう。
でもね、それでも言わないでいると、神様のご褒美がもっともっと多くなります。
ものって考えようなんだよ。
こんなに嫌なことされたんだから、堪忍袋の緒が切れてもしょうがないって。
そんな風に判断して、つい文句を言っちゃう。
つい堪忍袋の緒が切れるような難しい問題を神様から出されると、 みんなすぐ引っかかっちゃうんです。
だけど、そこで引っかからない。
そうすると、得点が高いんだよ。
難しい問題でも、さらっと答えに愛が出せると、すごいご褒美がもらえる。
一人さんはいつもそんなことを考えてるんですかって言えばね、私の場合は、頭がもうそういう構造になっちゃってる。
あえて意識しなくても、勝手に出来ちゃうんです。
人に言い返さないでいると、本当にいいことがあるよ。
試してごらん。
この世の中は周りの人に喜ばれることしかないんです
不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。
神様がいるんだってことを信じてない。
でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、人の悪口を言いながら幸せになるとか、不安な事を考えながら幸せになるとか、そんなことはできないようになってるんだよ。
わかるかい?
一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。
それに、お弟子さんが困ってたり、お手伝いが必要だなって人がいたりすると、私は飛んで行って手伝います。
それで一人さんに何かいいことがあるんですかって言うと、どういうことが起きるかまでは分からないけど、必ずいいことがあるんです。
そういうものなんだよ。
ただ、もしご褒美がなかったとしても、お手伝いをしたら人から喜ばれるだけでいい事だよね。
周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。
この世の中っていうのはね、まずは自分の周囲、簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。
私はいつも「自分も人も許そうね」って言うんだけど、人を許しましょうって言ったって、それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。
別に、ヒットラーを許せとか、そういう話じゃないよ。
だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょう。
あなたのそばにいるのは、口うるさいお姑さんだとか、近所のおじさんくらいだよね。
今世では因果を作らないようにしてごらん
何か嫌なことがあるってのはね、前世に自分が同じ事をやった現れなんだよね。
私だってね、納税日本一になっただけで妬まれることがあります。
それは多分、私が江戸時代に越後屋を悪く言ってたんだね。
越後屋は朝から顔晴ってたのに、よく知らないで、「あいつは悪いことをやってるに違いない。悪いことをしなければ、あんなに儲かるわけがない」とか言って、人が顔晴ってるのを認めなかったのかもしれない。
逆にね、悪いことをやり続けて、会社が大きくなるなんてことはないんだよね。
悪いことをして、何十年も儲け続けることなんてできるわけがありません。
どの時代にも、法律ってあるんです。
法律を犯しながら成功するなんてことはできないし、もし行っときは成功したとしても、そんなことを何十年間もやれるわけがない。
だから、何台も栄え続けてる家というのは、悪いことなんてしようもないんだよね。
そのことすら考えないで悪口を言ったりするとか、それが来世とか、その次に生まれ変わったりした時とかに出てくるんです。
人の悪口を言う人ってね、悪口を言っても言わなくても、自分の人生に影響がないと思ってるんだよ。
で、言ったらスッキリすると思ってるわけ。
まさか、そのことが自分に不幸を呼び寄せてるとは思っていないんです。
もし、誰かに嫌なことを言われたとしたら、それは自分が昔行ったことの因果が出てきてるって事です。
だけど、今こうして理解したことによって、昔の因果は消えていくんだよ。
でね、来世とかその先で嫌な思いをしたくないんだったら今世で因果を作らなきゃいいんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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