嫌いな人にまでいい人と思われたいと思ってること自体、間違いなんだよね。
自分なりのやり方で問題を乗り越えたらいい
神様から問題を与えられた時はね、どんな理由でもいいから、それに挑戦しようって思えたらそれでいいんです。
だから、最初は「この修行をやりきったら、神様からものすごいご褒美がもらえるぞ」って下心があっても構いません。
そう思った方が行動しやすいんだったら、そうすればいい。
行動することが大事だから、それに結びつくことだったら何でもいいんだよね。
自分が畑に嫌な音を撒かないでいるための方法は、あなたの自由です。
ご褒美がもらえると思えば行動しやすいとか、前線自分がやったんだからしょうがないと思った方が行動しやすいとか、人それぞれやり方ってあるよね。
1万人いれば、方法は1万通りあるんです。
一人さんだったらどうするんですかって言えば、もし私に意地悪をする奴がいたら、ひどい目に遭わせて終わりだね。
どういう風に酷い目に遭わせるかって言うと、悪口を言ってくるんだとしたら、「そういうこと言うのはやめな。自分にも良くないよ」って言う。
なんだそれだけかって言えば、その程度の事で十分なんだよ。
言うべきことを伝えたら、それ以上しなくていいの。
悪口を言う人に、「聞いてる私も気分悪いけど、あんたも運勢悪くなるからやめな」っとか真っ当なことを教えてあげればいいだけ。
相手のためを思って注意することはできるんだよね。
あるいは、悪口を聞きたくなければ、自分がその場から離れちゃうのも良い方法だしね。
距離を置いたり、そういう人とは口をきかなくなったりしても構いません。
とにかくやり方はいくらでもあるから、自分に向いていることをやるといいよ。
嫌な相手とは角が立ったとしても距離を置くこと
でね、相手と距離を置いた時に、急に連絡を絶ったりすると角が立つから難しいって言うんだよね。
上手な距離の置き方があるんですかって聞いてくる人もいる。
あのね、何かやる時に「角を立てちゃいけない」とかって言うけど、何かやる時は、角なんか立てまくりだよ。
そうしなきゃ何もできない。
嫌なことをされてるのに、それでも角を立てなかったら相手にわかりゃしないよ。
そういう時は、角なんか立てまくるしかないんです。
だって、嫌いな人にまでいい人と思われたいと思ってること自体、間違いなんだよ。
いい人に好かれたいんだったらいいけど、あなたに嫌なことをする人に、いい人と思われたってしょうがないでしょ?
そもそも、角を立てないように一生懸命やってるから、うまくいかないんだよね。
むしろはっきり嫌だって言った方が、嫌な関係はすぐに終わるものだよ。
あとね、「今度何か言われたら、言い返してやるぞ」なんて思っていると、その気迫って相手に伝わるものだから、案外、嫌なことを言われなくなります。
意地悪されるってね、嫌なことを言われたらどうしようって不安に思ってるから、本当に嫌なことを言われちゃうの。
困ったことが起きるような波動を出しているから、その通りのことが起きるようになってるんだよ。
反対に、意地悪をされても困らないと思っていれば、不思議と困るようなことは起きないものです。
だから、「こいつ、早く嫌なこと言わないかな」とか思ってるくらいでちょうどいいんだよ。
人生に我慢はダメだけど挑戦はいいよ
物騒な話だけど、殺人事件って、家庭内で起きるパターンが結構多いらしいんだよね。
だけど、そうなるのは我慢するからです。
我慢が、恨みを生むんだよね。
我慢してると、我慢から恨みがどんどん生まれてきます。
そうすると、限界に達した時に、殺人とかって極端なことになっちゃうんです。
じゃあ、家庭内でどうやって我慢しないでいるか。
家庭内の問題って、逃げられないことが多いよね。
もちろん、出ていけるなら、出て行っちゃえばいいんだよ。
まずは、その場から離れることを考えればいい。
だけど、経済的な事情があったりして家から出て行くわけにはいかないんだとしたら、問題があってもそこにい続けるしかない。
そういう場合はどうするかって言うとね、悪口を言わない挑戦をするんですよ。
問題から離れられない状態を神がくれた時に、私たちは無線とその問題に挑戦すればいい。
例えばね、お姑さんが毎日のように悪口を言ってくるとするよね。
でも、「私はお姑さんの悪口を言わないぞ。これは修行なんだ」って思うんです。
そうすると、だんだん爽やかな気持ちになって、いくらお姑さんに悪口を言われても軽くいなせるようになる。
それって、魂が成長している証拠なんだよね。
で、そうやってると、相手も自然に変わってきちゃうんです。
あんなに意地悪だったお姑さんが、この頃何だか優しくなったぞって。
我慢するのと、魂を成長させるために挑戦するのとでは、結果が全然違います。
問題に挑戦するのは自分にとってレッスンになるけど、我慢は間違いだよ。
大事なことは全部光の玉が教えてくれたんです
一人さんは、小さい時加賀ら神様がいるって事を知っていたんですかってよく聞かれるんだけど、知ってたんです。
私の場合は、夜になると光の玉が出てきて、いろんなことを教えてくれました。
というより、光の玉が私に近づいてきて、その光に包まれたとたん、疑問に思ってたことがもうわかっているんです。
神様は本当にいるということや、人間は何回も生まれ変わるということも、光の玉に教わったの。
じゃあ、何のために人は生まれ変わるんだろうって言えば、魂の成長のためなの。
魂の成長っていうのはね、神に近づくことです。
で、神に近づくってことは、愛に近づくことと同じなんです。
こういうことは全部光の玉が教えてくれたし、それ以外のこともいっぱい教わった。
だけど、今はもうほとんど忘れちゃった。
ただ、基本的には、今言ったことだけ知ってれば、十分なんだよね。
それで仕事はうまくいくし、人間関係もうまくいくんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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