ちょっといいことをすると、うんとご褒美がもらえるって信じてるんです。
何故かって言うとね、それくらい、世の中にはいいことしてる人が少ないからです。
ちょっとした工夫で面白い話になるんです
面白いことってね、面白くないことから生み出されるものなんです。
昔、時代劇なんかでさ、女の人が襲われそうになると舌を噛んで死ぬって場面がよくありました。
私だったら、その場面の男女を入れ替えて想像する理由。
それで、前世の話をする時なんかは、「俺は前世で女性に襲われて、舌噛んで死んだ事が何回かあると思うんだよ」って言ったりするの。
すると、周りの人は「そんなわけない」って大笑いしてくれるんです。
私の場合だったらね、納税日本一になった時、周りの知り合いから判で押したように、「斉藤さん、儲かって笑いが止まらないでしょう」とかって言われたんです。
そういう時には、すかさずこう返しました。
「笑いが止まらない段階はもう過ぎちゃった。
今は、あんまり儲かるものだから、夜になると笑いすぎて涙が止まらないんですよ」
そうすると、だんだん何も言われなくなってくる。
そんなことないよって否定したり怒ったりするから、あれこれ言われるんだよね。
こんなのもあったよ。
ちょっと太るとね、「斉藤さん、金太りですか」って。
幸せになることで太ることを幸せ太りって言うよね。
私にお金が入ったから太ったと言いたいんでしょう。
それに対する答えは、こうです。
「いや、金太りじゃないんだよ。金むくみで、今はもうむくんじゃって」
私のは、金むくみたって返すんです。
こんな風にね、笑えるような答えが一番だよ。
相手も笑えて、こっちも笑える。
それができると、変なことを言ってくる人はいなくなります。
だから私がいつも考えるのは、こっちも笑えて相手も笑える答えはなんだろっていうこと。
要するに、相手よりちょっと楽しい知恵が勝っていればいいんだよね。
一回笑うと100の福がくる「一笑百福」
みんなね、人生のご褒美が少なすぎるんです。
何が言いたいかって言うと、普通の人は「笑う門には福来る」って言うんだよね。
だけど、笑って福が来るって、1回の当たりじゃないんだよ。
私の場合はね、1回笑うと100くらい福が来る「一笑百福」なんです。
ものすごい大当たりだから、俄然やる気になる。
世の中にはいろんな言葉があるんだけど、「1を出すと1が返ってくる」という意味で捉えると、どうもやる気にならないものです。
1出してると、たまにちょっとご褒美が来るよ、みたいな感覚だと、労力が多すぎてご褒美が少ないからなんだよね。
だけど、「1出したら100来る」くらいだと、人間はやる気になる。
だから、私は一笑百福っていうの。
で、それを信じられる人なんだよ。
私はね、ちょっといいことをすると、うんとご褒美がもらえるって信じてるんです。
何故かって言うとね、それくらい、世の中にはいいことしてる人が少ないからです。
人のいいところを見たら褒めるとか。
たったそれだけのことですかって言えば、たったそれだけをやってる人が少ないんだよ。
だから、みんな外れなの。
わかるかな?
ちょっといいことをすると、みんなのあたりの運が全部私の所に来る。
だって、他のみんなはハズレなんだもの。
競馬でもなんでも、当たりが少なきゃ配当が多いよね。
それと同じなんです。
人がしないことにこそ価値がある
いつも笑顔でいる。
人のいいところがあったら、褒めてあげる。
みんな、なかなかそういうことをしないから自分もしないって言うけど、みんながやらないから価値があるんだよ。
本当のことを言うとね、私は一笑百福どころか、千福が万福だと思っています。
それくらい、みんな笑顔が足りないし、人のことも褒めないんです。
日本人って笑顔が足りないよね。
愛のある顔をしてないの。
愛のある言葉を使ってない。
だから、そういう中で自分が笑顔で愛のある表情や言葉を出してると、人のぶんまで自分に良い事が起きるんです。
満員電車の中に乗ってごらん。
みんな無表情で、本当に居づらいよね。
だけど、その中で自分だけは機嫌良くしてるんです。
そうすると、そこの座席にいる人たちの幸せが、全部自分に来ちゃうよ。
笑顔って、それくらい凄いことです。
1回笑うと、ご褒美がたくさん来るよ。
だから笑いな。
本当だよ。
私の人生はね、私が笑ってるだけで周りの人も幸せなんです。
で、たくさんいいことが起きる。
私の人生は、一笑いするだけで100くらい福がくる。
だから、私は「一笑百福」が正しいと思っているんです。
幸せになるのに苦労はいらないよ
この日本っていう国はね、いいことは昔から山ほど言葉に残ってるけど、それをやる人が少ない国なの。
何故かって言うとね、みんな、苦労しなきゃいけないと思ってるの。
幸せっていうのは、苦労して苦労して手に入れるものだと思ってるんです。
で、苦労するとどうなるかって言うと、苦労が寄ってくるんだよ。
だから、不幸になっちゃうの。
苦労って、いらないものなんだよ。
昔の日本の偉人伝なんか読むと、みんな苦労に苦労を重ねてるよね。
だけどそれって、その偉人が苦労したんじゃないよ。
その本を書いた人が、「この人はこんなに苦労した」と書いてるだけなんです。
おそらく当人は、苦労だなんて思ってないよ。
好きなことをやって出世して、楽しくてしょうがなかったはずです。
あのね、苦労話っていうのは、周りの人が言ってるの。
で、その人たちは、苦労話をしないといけないと思い込んじゃってるんです。
血の滲むような努力をした人が成功を勝ち取るのが好きだし、小学校の頃は、必ず二宮金次郎(二宮尊徳。江戸時代末期の思想家。貧しかった生家を努力で再興し、その後は他家や貧しい村の救済を行い、功績をあげた)が出てきて、ああしなきゃいけないのかって思い込まされる。
だけどね、二宮金次郎は体がでっかくて体力があったから、土地が開拓できたんだよ。
でね、開拓すると畑ができます。
そうすると、小作人を雇って任せちゃうんだよ。
で、体力があるから、自分はまた新しい土地を開墾する。
それを繰り返してるうちに地主になっちゃって、大勢の小作人を使って土地を開墾したんです。
みんなが思ってる二宮金次郎像とは、ちょっと違うと思わないかい?
それだけじゃないんだよ、二宮金次郎の偉いところは、愛人がいっぱいいたの。
これはね、本当の話だからね。
だってさ、自分が楽しいことをしないで、何のために働くんだい?
それをすぐ、世のため人のためって言うけど、人間って、働けばそれだけでも世のため人のためになるんです。
働くだけで世のため人のためになるのに、自分の幸せまで忘れてたんじゃ、働くことが続かなくなるよ。
世のため人のためだけで、長く続けることはできないんです。
仕事って、自分のために働くという気持ちがなかったら、顔晴れないよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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