何かをやるときは、「自分、一人でもやる!」っていうほうがうまくいくの
来世やりたいことは今できる
千葉の神崎にある、「ゆうゆう」さんという喫茶店に行った時、そこの店主の妹さんが、こんなことを話してたの。
「私はね、来世、ディナーショーを開きたいのよ」
要するに、歌を歌って聞かせたいんだということなんだ。
俺、その話を聞きながらね、「なんで今、ディナーショーやんないの」って。
やりたいことを来世に取っておく必要が、どこにあるんだろうか。
ディナーショーは歌手がやるもの、みたいな観念があるんだよ。
世の中、歌でも絵でも、何でもそうだけど、天才みたいな人がいるでしょ。
うまさで言ったら、素人は天才に絶対勝てないの。
だけど、素人がやることだから、みんなで楽しめるということが成功なの。
それを、素人だからディナーショーは無理だと言う。
盛り下がるようなことは言わないでよって。
それで俺、「ディナーショー、今年行っちゃお!」って、妹さんに言ったの。
そしたら、すぐ、その場で仲間が電話したら、ついてることに、成田のホテルを借りられることになって、翌月にディナーショーをやることになった。
当日はね、市長さんや町長さん、いろんな人が来て、まあ、賑やかで楽しくて、歌も素晴らしかったしね。
俺ね、その日、初めてその人の歌を聴いたの。
それまで一回も聴いたことがないのに、「ディナーショーやりな」って。
でも、あの時「やろう」と言って、よかったなと思う。
だってさ、そこの会場にいた人たち、みんな、ニコニコ楽しそうにしてたし、本人もすごく幸せいっぱいな顔してさ。
それ以来、年に1回ディナーショーをやるようになったんだよね。
な、人間って、面白いだろ。
たった一個の縛りを取ってあげただけでも、後は勝手にスイスイ、スイスイ、行っちゃうんだもんな。
もし、みんなも、やりたかったら、ディナーショー行ってみたらいいな。
やってみると、相当面白いから。
いつも、言うことだけど、面白い事って、待ってるだけじゃ、まず起きないからな。
ものって、自分から起こしていくものなの。
自分がまず面白いことやって、面白く生きるんだよ。
自分が面白いこと始めたら、面白い人達が集まってくる。
だから、ものっていうのは、「やる」ことが先なの。
今の自分なら、こういうやり方だったらディナーショーができるという方法があるから、それを見つけて、やっちゃうんだよ。
うちのみっちゃん先生だって、俺が「先生」ってつけてから、何の先生になるかを考えたんだから。
とりあえず、「先生になる」が先なんだよ。
で、後から「何やる?」ってみっちゃんに聞いたら、「占いやりたい」って言ったんだよ。
だから、占いをやって、みっちゃん先生になったんじゃないの。
「みっちゃん先生」という名前をつけてから、何をやるからを考えたんだよ。
ともかく、やればいいの。
この星は行動の星だから、行動しないと、何も始まらないんだから。
途中でくじけちゃう人の特徴
「いつか写真展を開きたくて、今、カルチャーセンターの写真教室に通って勉強してるんです」っていう人もいると思うんだけど。
あなた、本当に展覧会を開きたいんですか?
だって、写真もすでに何枚も撮ってあるんだよな。
公民館とか、区民センターだったら、1万円か2万円で、場所を借りられるよ。
そこに写真のパネルを貼って、入り口に「第1回写真展」って貼り紙をすれば、写真展ができちゃうんだよ。
それなのに、「いつか、やりたい」って。
今じゃなくて、「いつか」って、なんでなの?
絵でも写真でもなんでも、展覧会みたいのは、普通、修行して修行して、やっとやるものだと思ってる。
それ、めんどくさいの、俺に言わせると。
本気でやりたいなら、どこの会場でもいいからね、借りちゃいな。
それで、3人でも5人でもいいの、来たい人だけ来ればいい。
「こんな、私の写真を見に来てくれる人なんて、いませんよ」って、誰も来ないなら、来ないでいいの。
「一人でもやる!」って言えばいい。
よき仲間が集まって何かやるって、悪くはないよ。
だけど、何かをやるときは、「自分、一人でもやる!」っていうほうがうまくいくの。
それと、不思議なんだけどね、「一人でもやるから、来たいやつだけおいで」って言うと、必ず誰かが来るんだよ。
だから、俺、仲間を集めて何かをやったことが一回もない。
最初は一人で、ワッセ、ワッセやってたら仲間ができたの。
やる気になれば、今すぐ会場の手配して、早ければ来月か、その次の月に出来ちゃうんだよね。
その時は、「何人、人を集めよう」とか思っちゃダメなの。
一人でやってるから、いいよって。
そうすると誰か来てくれるの。
わかるかな。
みんなに賛同して欲しいって言うけど、それはいけないよ。
わかるかい?
何かをやろうとした時に反対者が出てくるのは、これはもう、お約束なんだよ。
賛同者って、そう出てこないよ。
しかも、一番最初に反対するのは女房とかで、一番酸性して欲しい人が反対するんだよ。
大概の人がくじけちゃうのは、そこだよな。
だから、最初っから、やる気十分な人は、そんなこと、入っちゃだめ。
ともかくね。
やっちゃうことが先なの。
やっちゃった上に、「俺ぐらい下手で、やっちゃう人、いませんよ」とかって自慢する。
「楽譜を読めないのに、ピアノのリサイタルをやっちゃったんですから」とかって。
そうするとね、「類友の法則」で、あなたと同じ面白い仲間が寄ってくる。
そうなった時、今までにない、面白いことが起きてくるんだよ。
チャンスは常に、今ここ、あなたの目の前にある
「いつか、やる」とか、「上手くなってからやる」とか、言ってる人に、俺、いっぺん聞いてみたいの。
あなたは誰のために、それをやるんですか?
「上手くなってから」って、それ、本当にあなたの声ですか?
あなたは世間の声をよく聞いてるけど、自分の中にいる神と対話してないんだよ。
人間は、みんな、自分の中に神がいる。
「本当ですか?」って、信じて頂かなくたって、何も問題はない。
ただ、俺達一人さん一派がそう信じてるだけであって。
だから、そのつもりで気楽に聞いててね。
「コンサートをやりたい」というのは、実は、内なる神からの指令なんだよ。
だから、そういう気持ちが起きるんだったら、やればいいの。
先にコンサートをやれば、上手くなるんだから。
それを、「上手くなってからやる」というのは、俺に言わせると、神の声を聞いていない。
その人は常識アタマ、世間の声を聞いているんだって言いたい。
神の声というのは、声として聞こえるんじゃないんだよ。
ひらめきだったりな。
そのことが妙にやりたかったり。
好きだったり。
それから、なぜか知らないけど、あの街に行かなきゃいけないような気がしたりとか。
それが、神の声なんだよ。
だから、本来、閃きとか神の指令、お告げというものは、等しくみんなにきてるんだよ。
そのひらめきでもって、一人一人をちゃんと導いてくれようとしてる。
ところが、人間の方が、その声を聞こうとしないの。
常識というもので、耳を塞いでいるようなものなんだよ。
あなたの成功の道は、あなたにしか歩けない。
常識みたいな、十把一絡げにしたようなものではないの。
ひとりひとり、指示が違うんだよ。
だから、あなたが、あなたの成功の道を歩き出すとあなたは楽しい。
周りも楽しい。
わかるかい?
常識で考えると、ディナーショーというのは歌手がやるものなんだよ。
だけど、「ゆうゆう」さんとこの妹さん、ディナーショーをやった人も、1回やったら、また次、また次って、毎年やることになったんだよな。
「今年もどこそこでディナーショー、やります」って言うと、練習もやる、ドレスも作る、何もやる、かにもやる。
わかるかい?
ディナーショーに来てくれた人はみんな喜ばせたくて、いろいろやるんだよ。
だから、そこに来た人は、みんな、幸せになっちゃうし、また次の楽しみにしてくれるんだよな。
そういう、みんながハッピーになっちゃう最初のきっかけ、「やりたい!」という思いを、世間の常識で無視してる。
いいかい、もう1回言うよ。
神のひらめきは、誰にでも、いつも、来てるんだよ。
それを、自分で勝手に無視しちゃって、「俺には来ないじゃねえか!」とか言ってるんだよな。
あなた、自分の思いに素直になってごらん。
「自分の思い」と言ったって、「泥棒したい」とか、法律違反になるようなものだったら、おかしいんだよ。
だけど、あなたの思いは、そうじゃないでしょって。
「ディナーショー、やりたい」「写真展をやりたい」とかって、神の声なんだよ。
その声を素直に聞いて、自分なりのやり方でやればいいの。
それが、あなたも周りも幸せにする道なんだよね。
なのに、「歌手じゃないのに、やっていいのかしら」とか、そういう常識的なことを、なぜ考えるのか。
それをやっちゃいけないという法律でもあるの?
あるんだったら教えてよって言いたいよな。
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