現代は、お金を使わないと豊かさを味わえないと言った風潮になってしまっています。
片寄った豊かさ
豊かさは全ての人の永遠のテーマなんです。
この豊かさには、心の豊かさと金銭的な豊かさというのがあって、二つ揃って初めて真の豊かさを感じることができるんです。
しかし今は、この二つがすごく片寄っちゃったんです。
特に戦後から。
日本人は江戸時代の何百年という間、平和が続いて戦争で死ぬ心配はなかったけど、庶民はすごく貧しかったんです。
ところが、それで庶民が苦しんでいたかと言うと、そうではなくて、その貧しさの中で庶民は楽しみを見つけて暮らしていたんです。
幕末に外国人が来た時に、庶民の暮らしぶりはすごく貧しいのに、いつも笑顔で楽しそうにしているのを見て驚いたそうです。
庶民が使っている茶碗やなんかでも、どんなものでも絵付けしてあるんです。
外国では絵付けの食器といえば高級なものに限られていたのですが、日本の職人は貧しい人でも腕を磨いて、作品に絵を入れていたんです。
そうやって、絵付けする人もお仕事を楽しんでいたんです。
絵をつけて高く売ろうとかではなく、自分の仕事を楽しむために絵をつけていたんです。
他に軒先に縁台を出してそこで将棋をやったり、お酒のある人はお酒を持ってきて、それぞれお酒のあてになるものを持ち寄ったりして、そこで楽しく語らっていたんです。
ウチも下町だから、お母さんがよく縁台を出してそこでビールを飲んだり、枝豆とか食べたりしてたの。
そうすると、近所の人が通りかかったりすると、みんな自然に「どうぞ」って言うの。
それでみんなで枝豆食べて、ビールを飲みながら将棋をやったり、世間話をしたりしてたんです。
それって、銀座のクラブで飲むビールより、美味しかったりするんだよね。
だから楽しいって、金銭的な豊かさだけじゃないんです。
これは別に銀座のクラブが悪いって言ってるわけではありません。
お酒を飲んで楽しむのは、銀座に行かなきゃ味わえないかと言うと、そうではないんだよと言いたいんです。
また、七輪で秋刀魚を焼いて食べるのってすごく美味しいんだけど、それとフランス料理を比べてどっちが美味しいかってことなんです。
フランス料理が食べたい時はフランス料理がおいしいでしょうし、さんまが食べたい時はサンマが美味しいんです。
それって甲乙つけがたいんです。
なのに現代は、お金を使わないと豊かさを味わえないと言った風潮になってしまっています。
テレビが出た時は、みんなでテレビを買った家に集まってみてましたが、今では一家に一台どころか、一部屋に一台の時代になりました。
江戸時代には「お伊勢参り」が庶民の究極の旅行だったのが、国内旅行は当たり前で、海外旅行に行かないと豊かじゃないといった感じです。
でも最近では、それが少しずつ戻りつつあるようです。
アウトドアが流行ったり、B級グルメが話題になったりと、お金を使わずに楽しむことが見直されてきています。
幸せの幅は広い
俺は下町に育ったから、道端の縁台を囲んで焼き鳥なんかを食べるのが好きなんです。
だからといって、フランス料理を食べないかといえば、そんなことはありません。
フランス料理が食べたいなと思えば、食べに行くことだってあります。
でも、山の手に住んでいる人は、時々下町に来て、屋台で焼き鳥とかを食べたりはしないんです。
そうやってみた時には、私はすごく幸せな人間だなと思うんです。
山の手の人は、木の下町の焼き鳥の美味しさを知らないで過ごしているんだなって思うんです。
それを考えると、幸せってすごく幅の広いものなんです。
多くの人はその幸せの幅が狭められちゃっているようで、かわいそうだなと思う時があります。
そして、楽しさもいっぱいあるんです。
要するに、幸せって心で感じるものなのに、今は「お買い物」になっちゃっているんです。
「楽しい」もお金で買う。
お金との交換になってしまっています。
例えば私なんかは詩を作って楽しんでいますが、これってお金はかかりません。
お金のかからない楽しさって、山ほどあったりするんです。
それってお金では買えない世界なんです。
お金で買える豊かさも確かにあって、それは皆知っています。
でもそれの方が小さくて、お金で買えない幸せの方が大きいんです。
楽しさや豊かさを感じるものだから、人それぞれに違いがあります。
だから私の話だけをしてもしょうがないのかもしれませんが、例えば私が銀座に飲みに行くと、女の子がたくさんついてくれたりします。
そこでお金を使うと、みんな喜んでくれます。
でも、私が講演会や勉強会に行くと、そこにいる人はもっと喜んでくれるんです。
そこに私はタダで行くのですが、行って人に喜ばれると、人って嬉しいんです。
銀座だとお金を使うから喜んでもらえるけど、講演会や勉強会はお金を使わなくても喜んでもらえるのです。
良き仲間がいれば豊かになれる
下町では「枝豆あるから食いな」って言うと、「じゃあ俺ん家からするね持ってくるよ」って行ってたんです。
それってすごく豊かだなと思うんです。
お酒も銀座で飲むと一杯すごく高いけれど、酒屋で買えばそんなことはありません。
要するに楽しいって、よき仲間がいれば楽しいんです。
だから人生は、その楽しさを一緒に味わえる良き仲間を探す旅だと思うのです。
嫌な奴に囲まれながらの幸せって、ないんです。
そして、それもやっぱり「類友の法則」で、自分が魅力的な人間になると、魅力的な人が集まってくるんです。
いい人っていっぱいいるんです。
下町なんかはいい人ばかりです。
その中で気があった人と飲んだら、場所なんかどこでもいいんです。
発泡酒でも美味しいんです。
気のあった人とディズニーランドに行ってアトラクションに乗るのもすごく楽しいですが、公園のブランコに乗るんだって楽しいんです。
六本木で飲む一本50万円のドンペリも美味しいかもしれませんが、下町の焼き鳥屋で飲むチューハイと比べると、チューハイも美味しいよってことなんです。
豊かさの見つけ方
仕事も好きでやっていると、そんなにお金お金って言わなくても、楽しくなります。
お金を追いかけ回さなくても、ある程度あれば幸せなんです。
その後自分が何をするかって言うと、それは心の豊かさの問題なんです。
お金はもちろん必要だけど、必要以上に追っかけ回すものではないんです。
それがなければ幸せになれないというものではないんです。
豊かさって結局、見つけ方なんですね。
ドンペリも美味しいけど、家の近くの居酒屋のレモンハイがもっとおいしいよとか。
日本は戦後の高度成長期から、今は成熟期に入ろうとしています。
この時、成熟期の生き方をしないと苦しくなっちゃいます。
これからはお金じゃなく、知恵を使う時代なんです。
知恵を使えばもっと面白いことがあるんです。
それは日常の中でたくさんあるんです。
俺は金持ちだから、使いきれないくらいいっぱいお金はあるんです。
使っていても増えちゃうくらいの金持ちです。
だから、フランス料理が食べたければいくらでも食べることはできます。
それでも私は下町の定食屋の方が美味しいから行くのです。
色々食べ歩いた結果、それが食べたいのです。
私にとっての究極の贅沢は、近所の居酒屋で気の合った仲間と一緒にご飯を食べる事なんです。
それが私には最高の幸せなんです。
でも私が思う最高の幸せって、みんなもやろうと思えばやれるのに、実はやってる人もいるのに、みんなその幸せに気づいていないんです。
だから、それに気づくためにツアーとかをやればいいかもしれないね。
「下町の居酒屋がどれだけうまいかに気づくために行く、3万円のフランス料理を食べるツアー」とか。
よく海外旅行に行くと、日本食が食べたくなるよね。
それと同じ。
日頃の自分の幸せに気づくツアーとかね。
知り合ったばかりの人とご飯を食べに行く時に、「いいとことうまいとことどっちに行きたい?」って聞くと、ほとんどの人はいとこがうまいとこだと思ってるの。
もちろん、高級ないいとこで、味がうまいとこもあると思うよ。
でも、俺の知ってるうまいとこって全部、安くてうまいとこなんです。
だから一番大事なことは、自分達は意外と幸せなんだなって気づくことなんです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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