因果の話で言えば、そういう、いじめられる人の因果もあるんだろうけど。
自分がやらなくなったら、それで因果は解消だよ
親子の因果の話
Q 私は、幼い頃に実の母親を亡くしました。
父も再婚後亡くなって、私達兄弟は継母に育てられました。
当時、母も若かったからだと思うのですが、何か頭にくることがあると、母はすぐ「靴べら持ってこい!」と、私の一つ上の兄に言うんですね。
兄も自分がやられたくなくて、靴べらを渡したと思うんですけど。
靴べらで母は、私を叩いたり、地下室に入れたりしてたんです。
私はそういう母を反面教師にしてきました。
母にやられたことを、私は自分が親になってから一度も子供にしたことがないんです。
それと、今、私は、優しい家族に囲まれてたり、「幸せだな」って思えることが、たくさんあるんです。
それは、私が生きてるからでしょう。
だから、未熟でありながら育ててくれた継母に、ちょっと感謝できる自分になってるのが、嬉しいです。
A 斎藤一人さん
今の話もね、結局、お母さんも未熟だしね。
お父さんも未熟なんだよ。
未熟な人が引き起こしちゃう物語みたいなものでな。
精神論ってね、「自分がやらない」しかできないんだよ。
それができたら、最高なんだよ。
大概は親にいじめられると、いじめる親になっちゃったりするんだけど。
自分がね、ヤなことされて、ヤなこと他人にしなかったらね、それで最高だよ。
だから、俺達の修行って、自分が誰かに嫌なことされたら、自分はそれをやらない。
いじめでもなんでも、いやられて嫌な思いしたら、「自分はやらない」ができたら、最高なの。
だから、いじめられた子も。
この前も、ここに来てた子も、すごい、いじめられて。
「バケツの水、かけられた」とか、いろんなこと、されたようなんだけど。
因果の話で言えば、そういう、いじめられる人の因果もあるんだろうけど。
前世に自分が何をやったから今世いじめられてるんだ、とか、いちいち原因が分からなくったっていいんだよな。
自分がやらなくなったら、それで因果は解消だよ。
だから、せっかく、心の故郷まで帰ってさ、自分の、黒いオセロを白に変えてきたのに、これから先、自分が黒を出すような、生き方をすることはないよな。
だから、あなた、立派だよ。
いやホント、立派だよね。
これから先はさ、白しか、置くのよそう。
もう、置く前に、白にしちゃっておこう、な。
一個でも黒、置くのよそう。
黒をおいたら、また自分探しの旅に出て、白にしてこなきゃなんないのは馬鹿馬鹿しいからさ。
いつも、白、おくような生き方、しようね。
子育ての話
Q 子供を育てる中で、しつけとか、時間を守るとか、人間としてやらなくちゃいけないことを教える。
それが出来ないと、何度でも子供に同じことを言って、結果、強く責めてしまうようなこともある、と思うんですけど。
先ほど、自分探しの旅のお話をお聞きしてて、じゃ、そこの部分は、どこまで教えて行ったらいいんだろうと。
A 斎藤一人さん
これ、俺のやつだから、正しいかどうか、じゃあないんだよ。
「何歳までに、それができればいいんだろう」なんだよね。
時間を守るとか、約束守るとかって、あるじゃない。
「いつまでに、それができればいいんだろう」ということを考えるんだよね、俺の場合だと。
例えば、俺のお弟子さんで、まるかん芦川隊の社長している裕子ちゃんがね、高校生の時、他人に会えなかったの。
俺だと大丈夫みたいなんだけど、俺以外のよその人が近づいてくると、すぐ逃げちゃうの。
その時、俺がひろこちゃんのお母さんの勝代さんに、こういったの。
「勝代さん、心配いらないよ。俺の見たところ、裕子ちゃん、30までに絶対挨拶できるよ」
そしたら、30になる前にできるようになっちゃったね。
だから逆に言うと「30まで言い続けるぞi」というつもりになりゃいいんだよ。
それと、今、裕子ちゃん、まるかんの社長やってるんだけど、社長としてはまだまだこれからなところもあるの。
だけど、勝代さんやなんか、まだ元気に生きてて、この先も何十年と元気で生きてるんだよね。
だから、子供は、親が死ぬまでに、しっかりすりゃ、いいんだよな。
わかるかな?
いつまでに、しっかりすればいいんでしょうって、俺たちはまだまだ、死ぬわけじゃないし。
だから、ロングランで考えればいいんだ、と思ってるのね。
物事って、不思議なんだけどね。
問題なんかっていうのは、こっちの覚悟が勝った時、消えちゃうんだよ。
だから、例えば、子供に挨拶を覚えさせる時、子供がまだ挨拶ができないとする。
その時、「なんで今できないんだ」って思ってるようじゃ、まだ腹が座ってないんだよ。
だから、子供を見て、例えば、「あと、十年経てば、この子は挨拶できるだろう」とか思うんじゃない?
そうすると、自分の予想では10年なんだけど、余裕を持って、
「あと、20年間は、挨拶しろよ、って言い続けるしかないな」
とかって思うの。
そしたら、こっちもハラが座って、覚悟が決まった時にね、自分が想像してたよりも、向こうの成長の方が上回っちゃうの。
わかるかな?
だから、ウチの恵美子さんもうそうなの。
恵美子さんて、昔は、もう絶対ぐらい、本、読まなかったんだよ。
だから、恵美子さんと会うたんび、一人さんは「はい、読んでみな」「これ読んでみな」って、ずっと、言ってたのね。
今だから言うけどさ、俺はね、この人が本を読むようになるのに、来世までかかると思ってた。
いや、本当に。
「来世までかかっていいから、言い続けよう」と思ってたんだけど。
何年間かで、読むようになっちゃったね。
次々、読むようになって。
で今、本なんか、書いちゃってるからね。
だからね、人間ってね、中途半端な気持ちで、ものをやるのはよくないね。
特に人を導くときってね、中途半端じゃ、無理だよな。
相当、ロングランで戦う気にならなきゃ、だめだよね。
逆にいえば、こっちがロングランで戦う気になれば、腹が据わるよね。
こっちの腹が座ると、何故か相手は段々、段々、変ってくるよな。
だから、「挨拶、しろよ」はいんだよ。
だけど、「なんで、今すぐ、できないんだろう」はまずいんだよな。
そうじゃなくて、この子も、二十歳までには挨拶できる子にしてやろう、っていう。
だから、どのくらい、こっちの覚悟が勝るか、だな。
「お前が二十歳になるまで、俺は言い続けるからな」とか。
「これは、お父さんも愛だからな。うるさいと思わないでね、愛愛がなかったら、そんなに、ずっと、言ってられないから」って。
だだ、大概の子供って、親から見るとね、不満かも分からないけどね、意外とちゃんとしてるよ。
だから、人を教育するのは、少しロングランで。
10年経つと、変わるな。
10年で変わる。
それでね、急に変わったやつはまた戻るな。
急に手のひらを変えたように、よくなるような人ってね、しばらく見てると、元に戻っちゃうことがある。
竹細工を作る時とか、竹を曲げるのと同じだよ。
竹って、あっためながら、ゆっくり曲げないと、すぐ折れちゃうんだよ。
だから、あっためながらゆっくり、ゆっくり、こう曲げていくのが、人を導いていくときのコツだな。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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