この話を聞いて信じられる人は、本当に少ないと思います。
でも、この話は本当です。
人生という旅の終わり
人生という旅にも、いつかは終わりが訪れます。
人はそれを死と呼びます。
人は死を恐れます。
特に、大切な人との別れはとても辛く悲しいものです。
だから人は死を恐れるのかもしれません。
しかし、必要以上に死を恐れてはいけません。
なぜならば、それは全ての終わりではないからです。
斎藤一人さんは死について、こう話してくれたことがあります。
「今から話すことは信じられる人が信じればいい話だから、無理に信じなさいという話ではないからね。
では話を始めるよ。
人は時間が来れば必ず死を迎えるけど、実は本来の自分は死ぬことがないんだよ。
人は時間が来れば必ず死を迎えるけど、実は本来の自分は死ぬことがないんだよ。
人は死とは体と言う、今生を旅するための乗り物に別れを告げるということで、魂というものが本来の自分なんだよ。
そしてその魂は乗り物を替えて、何回も何回も生まれ変わるんだよ。
魂は体を通して色んな体験をして、成長するんだ。
人の一生とは、人生という一つの道のりを、自分が決めた体で旅をすること。
その旅の途中にいろんな人と出会って、色々な問題にぶつかるよね。
仕事のこと、子育てのこと、恋愛のこと、そして大切な人の死などと言う、どれもこれも人間関係を通じて、それぞれの魂が成長できるようになっているの。
神様はとても優しいから、忠夫ちゃんには忠夫ちゃんが乗り越えられる高さの問題を用意してくれるんだよ。
そしてその問題をクリアすると、またその時の自分に合った問題を出してくれるんだよ。
そのたびに魂が成長していくんだよ。
だから私たちはこれから問題が起きたら、『ありがとうございます』と言って、笑顔で楽しんで問題を解かないといけないんだよ。
だって私たちの成長のためだからね。
そして旅の途中で出会って、それぞれの魂を高めあった仲間たちは、また次の旅をする時も『ともに魂を高めあいましょうね』と約束して、次に生まれてくる時に仲間や家族、夫婦という近い存在で生まれてくる。
これはソウルメイトと言うんだよ」
一人さんからこの話を聞いて、私は何だかとても嬉しくなり、話の内容がスッと私の心の中に入っていくのを感じました。
私に起こる出来事は、全て自分自身の魂の成長のために起こる出来事なんだと考えることができるようになってからは、心が軽くなり、いつも笑顔でいられるようになりました。
今日お越しの皆さんの中には、この話が信じられない人がいるかもしれません。
しかし私は、この話を聞いていたおかげで、父が亡くなる時に、「お互いに笑顔でまた会おうね」と、お別れすることができました。
またある時はこんなこともありました。
私の祖母が元気をなくしていたので、「おばあちゃん(当時84歳)、なんで元気がないの? よかったら話してくれない?」と聞きました。
すると祖母は、「私はもう年だから、お前達と別れてしまうということを考えていたら急に寂しくなってしまうんだよ」と言うのです。
そんな祖母に私は、「何を言っているんだよ。
人間はね、死んだら終わりではなくて、また次に生まれ変わって戻ってくるんだよ。
そして縁の深い人にはまた会えるんだよ」と言いました。
すると祖母は、「ではまた忠生夫にも会えるんだね!
みんなにも会えるんだね!」と言って元気を取り戻し、その後の人生を、最後の死を迎えるその時まで、明るく元気の良い、いつもの祖母でいてくれました。
少なくともそこにとってはこの話を信じることで、今を明るく生きることができたのです。
斎藤一人さん
この話を聞いて信じられる人は、本当に少ないと思います。
でも、この話は本当です。
人は何度も生まれ変わって、魂を成長させます。
そしてあなたのと縁の深い人は、何度でも会えるのです。
次にみんなと会う時は、お互いに今より素敵な人になっていますよ。
なぜなら今生でたくさん学んだことを活かして、来生はもっと素敵な魂で生まれてくるから。
些細な出来事からも学ぶ
人生の旅の途中には、大きな試練もあれば、日常の生活の中で起こる、ほんの些細な試練もあります。
一人さんとともに全国講演をしていた時の事です。
その日の講演が終わり、食事をしに近くのラーメン屋さんへ行きました。
ラーメンを食べながら、その日の講演会の話題で盛り上がろうと思っていたのですが、あいにくそのお店は一つ一つの座席の隣に仕切りがあり、それぞれが個室のような感じになっているお店でした。
食券を買って店員さんにそれを渡して待っていると、私が注文したものと違うラーメンが目の前に出されました。
私は目の前の店員さんに、「すみません」と声をかけましたが、聞こえないのか、反応がありません。
そこで、少し大きな声で呼びかけました。
しかし、店員さんの反応はなし。
さらに大きな声で店員さんに呼びかけると、
「お客さん、店内で大きな声を出さないでください!」
と言うではありませんか!
これには私もかなり、「ムカ~!」っときましたが、その場はこらえました。
そして次に、注文したサイダーが出てきたのですがなんとも緩い。
またも私は店員さんに「すみません」と声をかけましたが、店員さんは気づかない。
そこでまた大きな声で、「すみません~!」と言うと店員さんは、
「お客さん、何度言えばわかるんですか!」
「それはこっちのセリフだよ!」と思いながらも、そこもまたぐっと堪えましたが腹立たしいので、私は注文したラーメンを食べる事なく店を出て、一人さん達が出てくるのを待っていました。
数分後に店から出てきた一人さんは、笑顔で私にこう言いました。
「忠夫ちゃん甘いな~。
あの店に入った瞬間、『この店はお客がお店に気を使わなくてはいけないお店なんだ』と見抜かなくてはだめだよ。
そして自分たちにできることは、出されたものは黙って食べて、早く店から出ること。
それとね、忠夫ちゃん。
腹立つのは分かるけど、そのことで損をするのは忠夫ちゃんだよ。
人間腹を立ててばかりいたり、腹の立つのをグッと我慢したりしていると、最後には自分が壊れてしまうんだよ。
だからそんな時は、起きた出来事を笑いに変えるんだよ。
人間笑ってしまえば勝ちだからね」
私はこの話を聞いて、穴を掘ってでも入りたい心境になりました。
しかしこの日以来、今日まで腹の立つことが起きると笑に変えるようにしてきました。
「人生我以外、皆師匠」なのです。
そう考えると、「目の前に現れた人は私の魂の成長のために出てきてくれたんだ。
その人から今日は何が学べるのかな?」と思えるようになりました。
そして、あの時のラーメン屋さんが私にとって本当にありがたい存在で、感謝しなければいけないと気づくことができました。
斎藤一人さん
人間、何か起きた時に怒るか、笑うかで人間の大きさが決まる。
大概のことは笑えるように、訓練をしたほうがいいかもわからない。
『よく』の塊になる
「欲の塊」というと悪いことのように聞こえますが、欲には良い欲と悪い欲があります。
つまり、「よく」も使いようということですね。
以前、一人さんと千葉県にある三石観音に行った時の話です。
そこのお寺は、元マラソン選手の高橋尚子さんや、プロ野球の高橋由伸選手などがよく参拝に来ることで有名になったお寺ですが、決して大きなお寺ではありません。
しかし、全国各地からたくさんの人が訪れているそうです。
私たちが行った時も雨が降っているにも関わらず、何組かの人が来ていました。
私に息を切らしながら寺のあの山門にたどり着いた時に、私の目に飛び込んできたものがあります。
それは、「私はよくの塊」という貼り紙です。
よく読んでみると、こう書いてありました。
「私は『よく』の塊。
よく聴いて、よく観て、よく働いて、よく遊んで、よく学んで、よく笑って、よく、よく、よく。
だから運もよく、顔色もよく、体調も良く、全て良く、いい人とよく出会う」と書かれていました。
欲望や欲求は、人間が生きていく上で欠かせないのです。
ただ、その欲とどのように付き合っていくのかが大切なのです。
ストレスもそうです。
多少のストレスがあった方が人間の身体は強くなります。
心についても同じことが言えます。
私の趣味の一つはダンベルを持って歩くことです。
先の三石観音寺にもダンベルを持って登りました。
先の三石観音寺にもダンベルを持って登りました。
ただ歩くよりも、少しだけ体にストレスを与えることによって負荷がかかり、体を鍛えることになります。
汗も早く出て、ダイエット効果もあり、全身の血液が動いているという感じがして、細胞は一つ一つ喜び、元気になっていくのがわかります。
欲にしろストレスにしろ、それ自体に善悪はなく、どう受け入れて、対処していくかが重要だと言えます。
そして同じ『よく』を持つなら、より『良く』なる『よく』をもっ
て過ごしていきたいものですね。
斎藤一人さん
何か行動するとき、自分の基準は愛だろうか?
そうやって考える癖があると、大概のことはうまくいく。
何かが悪いのではない。
愛がないのがいけないのだ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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