身体もそうですが、脳も使わないと衰えます。
私たちの脳は、スーパーコンピューター以上の高性能な能力を持っています。
器量をあげる脳の使い方
この素晴らしい機能を使いこなすためには、実はちょっとしたコツが必要なのです。
そのコツとは、「おかしい」と思うことだと一人さんは言います。
例えば、あなたがもしお金持ちになりたいのであれば、「自分がお金持ちじゃないのはおかしい!」と思えばいいのです。
そうすると脳は、この「おかしい」と思う問題を解決しようとフルに働き出し、その解決策やアイデアを出してくれるのです。
つまりこの場合だと、具体的にお金持ちにになるためにはどうすればいいかということを、脳は教えてくれるのです。
ここで一つ、注意しなければならないことがあります。
それは、せっかく脳が出してきた解決策やアイデアを削除しようとする、コンピューター・ウイルスのようなものがあるということです。
それを言い換えると、「間違った固定観念」ということができるかもしれません。
このウイルス、つまり間違った固定観念は、過去の失敗や、周りに言われたことの記憶が作り出したものです。
それが何かしようとすると、「どうせ無理」とか、「やっても無駄」というメッセージを発してくるのです。
このウイルスに対抗するためには、過去の「どうせ無理」「やっても無駄」と言った記憶を「私には出来る」に「上書き」して行けばいいのです。
この「上書き」をする行為が「行動」なのです。
具体的にはまず、自分で簡単にできそうなことから行動に移して、できたという結果を残します。
そして、徐々にハードルを上げながら、この「できた」を増やしていくのです。
そうするとかこの「できない」という記憶が「できた」という記憶に上書きされ、さらにはまだやっていないことでも「できる」というふうになるのです。
一人さんの脳も、私の脳も、あなたの脳に比べて大きいわけではありません。
同じ機能、能力を持っているのです。
大切なのはこの素晴らしい脳という器をどう使うかということです。
「楽」して成功する法
書店に行くと、たくさんの成功法則本が並んでいます。
これだけたくさんの成功法則本が世に出ているのですから、世の中にはもっと成功者が増えても良さそうなものですが、なかなかそういう風にはいかないようです。
世間の人は、「世の中はそんなに甘いもんじゃない」とか、「人生、山あれば谷あり」とか、「苦あれば楽あり」と言います。
ではやはり、楽して成功したり、幸せになることはできないのでしょうか?
私はこのことを聞かれたら、「楽して成功することも、幸せになることもできます」と答えます。
実際、私は「楽」してお金持ちになり、素晴らしい仲間に囲まれて、幸せな毎日を送っています。
ただ、世間が思う「楽」と、私がいう「楽」は少し違うかもしれません。
私が思うに世間の人たちが言う「楽」とは、何もしないで手に入れる「楽」ではないでしょうか。
確かに何もしないで、または簡単に手に入れば「楽」ですが、その「らく」に「苦」が伴うのです。
これに対して私が言う「楽」とは「楽しい」です。
私が事業を始め、商人として歩んできた道は、決して平坦な道ではありませんでした。
それこそ「山あり谷あり」で、困難な出来事もたくさんあったのです。
でも、その旅の途中も、そして今、その来た道を振り返っても、その旅はずっと楽しいものでした。
ある意味で、困難を乗り越えれば乗り越えるほど、見る景色が変わり、さらに旅が楽しくなっていったのです。
つまり私が手に入れた成功や幸せは、決して何もしないで手に入れたものではないのですが、かといって、それを手に入れるのに凄く辛かったということもありません。
正当な努力もしましたし、いろんな困難なこともあったけど、その成功や幸せを手に入れる過程は楽しんでやることができたということなのです。
そしてその楽しく成功し、幸せになる方法を教えてくれたのが一人さんなのです。
「ゲームの達人」という発想法
一人さんの手にかかれば辛い仕事も、難しい問題も、困難な出来事も、全て楽しいゲームに変えられてしまいます。
それはまさに仕事の、そして人生という名の「ゲームの達人」なのです。
例えば、私にも先に紹介した「間違った固定観念」や「思い込み」はたくさんありました。
そうした私の誤った考え方を、まるでゲームでもしているかのように楽しく変えてしまうのが一人さんなのです。
それはまるでオセロゲームでもしているかのようです。
私が「これは絶対、黒だ!」と思っていることを、いとも簡単に全部、白に変えてしまいます。
私だけじゃなく、世間の人たちも「これは絶対、黒だ!」と思っていて、実際の黒の意見が圧倒的に多くても、それをいとも簡単に、そして楽しそうに次から次へと「パッ、パッ、パッ」と白に変えてしまうのです。
一人さんの発想は、全てこの「ゲーム」なのです。
しかもそれをただ勝つためだけにやるのではなく、いかに楽しくゲームにするかを徹底的に考えているのです。
例えば納税で日本一になるのも、一人さんにとっては「納税で日本一になるゲーム」です。
そこで考えるのは、ゲームは簡単だと面白くない。
難しい問題を解くから面白い。
だから、高額納税者のほとんどは株や土地の売却で得た利益なのに対して、一人さんはあくまでも事業所得だけで勝負する。
その事業も、自分一人でやった方が利益は大きくなるのに、どこまでも私たちでしも得するように考えてくれる。
優秀な人材を募集したりスカウトした方が事業を拡大できるのに、そんなことは一切せず、ご縁のあった人をどこまでも大切にする。
そのことを一人さんはこう言います。
「サッカーでも「手を使っちゃいけない」というルールがあるから面白いんだよね。
それで俺は、仕事でも何でも面白くするために、自分でルールを決めてゲームのようにやるの。
例えばまるかんの本社は今も昔も東京の新小岩にある小さな事務所を借りて、5人だけでやっているんだけど、俺はこれで大企業に勝つためにはどうすればいいかと言う、ゲームをやっているの。
それでゲームは難しい方が面白いんです。
簡単だとすぐに飽きちゃうの。
だから俺は六本木とか丸の内にビルを建てることはできるけど、それはしないんです。
だって六本木は丸の内に引っ越したら、今、ここに来てくれている人たちが通えなくなってしまうからね」
一人さんはこのゲームを、お金を得る手段として行っているのではありません。
だって、お金はもう一生どころか、千年たっても困らないほど、既に持っているのですから。
一人さんの考えるゲームとは、どこまでも「楽しさ」と「やさしさ」を追求したゲームなのです。
勝って威張らない、負けていじけない
だから私たちの日常は、仕事をしているというよりも、ゲームしているという感じなのです。
さらに言えば、会社に来て仕事を「させられている」のではなく、仕事というゲームを「楽しんでいる」という感覚なのです。
ゲームですからもちろん、負けた時には罰ゲームもあります。
例えば負けた人は1日、会社で小町娘は薄毛のおじさんのカツラを被るというのもありました。
その時、自分がカツラをかぶっていることをうっかり忘れ、そのまま買い物に出かけてしまうということがありました。
お店に入ると、やたらと周りの人が私のことを見ます。
中にはクスクスと笑っている人もいます。
そこで初めて、自分がカツラを被ったままだということに気づきました。
それでも周りの人があまりにも笑顔だから、「まぁ、いいか!」という気持ちになって、その場を笑顔でごまかして帰ってきたのです。
正直、すごく恥ずかしかったのですが、今となってはいい思い出です。
まるかんでやるゲームは、みんなが公平に参加できるような工夫を必ずしています。
「国盗りゲーム」でも、売上をその地域の人口比率で割るので、担当地域の規模や数が多いから有利という事はありません。
だからもちろん、勝つ時もあれば負ける時もあるのです。
このときに一番重要なのは、買った時に驕らない、威張らない。
負けた時にいじけない、くじけない、そしてねたまないということです。
ゲームに勝つと、誰でも気分がいいものです。
さらにその勝ちが続くと、自分に自信が持てます。
しかしこの自信が自慢になって驕りにつながった時、人は威張り出します。
そして威張り出した時、周りの人は離れていき、運や天にも見放されていくのだと思います。
ゲームのいいところは、「負けることもある」ということです。
負けた時の悔しさや惨めさを知っているからこそ、次こそがんばろうと思えるし、買った時に負けた人の気持ちが分かるから、驕ったり威張ったりすることがありません。
出た時にいじけず、くじけずがんばったからこそ、勝った時の嬉しさはさらに大きなものになり、勝たせてもらえたことに感謝できるようになるのです。
それに、所詮は「ゲーム」なのです。
ゲームに勝ったからといってその人が人間的に偉いわけではなく、負けたからといってその人が人間的に劣っているわけでもありません。
大切なのは、そこから何かを学び取り、次に活かせるかどうかなのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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