コンクラーベ

斉藤一人さんです

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斎藤一人さん 悪い所って誰にでもあるから、完璧を求めすぎないで

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人って、不完璧なもんなんです。

欠点に思えるようなことでも、それは個性なんです。

 


悪い所って誰にでもあるから、完璧を求めすぎないで


Q 子供のペースに合わせて、笑顔でゆっくり階段を降りたり、公共の場でキャッキャとはしゃぐ子供をにこやかに見守ろうお母さんを見ると、ほんわかした気持ちになり、素敵だなと思います。

今も昔も立ち止まって見てしまうほど憧れるのに、私自身は自分の子供に、そうした対応ができませんでした。

子供は悪くなく、間違っているのは私だと、わかっていたのに、ゆっくり見守ることができず、自責の念にかられていました。

今は子供も成人し、離れて暮らしているので、明るく楽しい会話だけになり、ほっとしています。

来世また母になり子どもと接する時に、今世の学びの続きとして、どのように考え行動すれば、優しく器の大きい母親になれるでしょうか?

子育て中、もっと遊んで楽しくしていればよかったのでしょうか?


A 斎藤一人さん

あなたは完璧を求めすぎるよ。

人間、悪い所って誰でもあるんだよ。

頭が悪いか、性格が悪いか、顔が悪いか、胃が悪いか、歯が悪いか・・・・・・・。

それはみんな個性なんだ。

些細なことで自分を責めているけど、よく考えると周りが迷惑だよ。

周りは周りは、あなたの笑顔が見たいんだよ。

子供もそうだよ。

ただ、それが正しいって思い込んでいたんだね。

こんなことで自己反省しなくていいよ。

そんなに完璧になれないよ。

気がついて、反省しているだけで、あなたはすごい人ですよ。


はなゑ

一人さんの言うように、素敵な親子を見てイライラするのではなく、ほっこりできるあなたは、いい人だと思いますよ。

もし、モヤモヤがスッキリ晴れないなら、子供達に「子育て中は、優しくできなくてごめんね。未熟な母親だったのに、立派に育ってくれてありがとう」と伝えたら良いのではないかな。

そして、反省するより、楽しむこと。

昔のことを悔やむなんて、遊びが足りない証拠です。

もっともっと、好きなことを見つけて楽しんでください。

 

このことからは、なぜか良いことしか起きない

 

Q 私の生みの母は一歳の時脳腫瘍で亡くなりました。

その後、実は母の兄夫婦に育てられていました。

本当の父は後妻さんと姉と一緒に暮らしていて、最初は実の親を叔父と聞いていました。

育ての親だと分かるようになると、私自身、反抗して行くようになりました。

養母は親戚の人に「娘のことを欲しいと言ったわけじゃない、もらってくれと言われた」と言ったよう。

望まれてきたならまだ良かったのにと思いました。

周りの人にいつも助けてもらっていて、今は幸せに生きています。

最近は一人さんのお話を聞いて、お世話になった義母に感謝したいのに、心からはできないでいます。

色々なとげのある言葉を言い合い、今お互いの探り合いのような状況になっています。

義母の事にとらわれずに毎日を過ごしていきたいです。


A 斎藤一人さん


自分の人生ってさ、あの世にいる時、大体決めてきているんだよね。

そしてそのことで悩むんだよ。

悩んで悩んで苦しんで、そして魂が成長するんだよね。

そのために俺たちは生まれてきてるんだよ。

ある意味、今、順調に行ってるの。

もっともっと、苦しんでごらん。

迷い方が足りないから答えが見つからないんです。

必ず一つの答えが出てくるからね。

このことが、ダイヤモンドに変わるんだよ。

今その時なの、大丈夫だよ。


はなゑ


お義母さんに対して、「育ててくれたんだから、嫌いな気持ちを持っちゃいけない」って思っているのではないかしら。

まずは、「お義母さんを好きになれない」と思っていいよ。

嫌なんだから、とことん嫌だと思って、自分を許してあげる。

お義母さんを好きでないことを認めて、自分を愛してあげて下さい。

「娘を欲しいと思ったわけではない」という言葉に囚われているんだよね。

ならば、とことんとらわれていいです。

嫌だという気持ちを持っていいの。

でもね、もしかしたら、売り言葉に買い言葉だったかもしれないよね。

今は信じられないかもしれないですが、とことん自分の気持ちに正直になって寄り添ってあげると、違う景色が見えてくるもの。

自分を大切にしていくと、お母さんに愛されていたことも思い出すかもしれません。

私はそういう人を何人も見てきたからね。

まずは自分を愛して、癒すことから始めてみてくださいね。



使命と困難の大きな違い


Q 人は、使命を持って生まれてきます。

人生において、苦難と言われるような状況になり、それを逃げるという方法で解決した場合、次にまた違う形で、同じような問題が起きる。

そして、問題がさらに大きくなってくるように感じています。

これが使命だったら、この問題を解決するという使命を果たさずにいれば、次々に違う形で、問題が出てきてしまうのでしょうか?

ならば、苦しいけど、先に解決した方がいいような気がしますが、この考え方は間違っていますか?

決めてきた使命は、無理だと思っても逃れることはできないのでしょうか?


A 斎藤一人さん


「使命」だったら、何事もうまくいくんだよ。

神の使命だからね、神はどんなことも味方してくれるんです。

並外れた苦労があるとか、大きな困難があるなら、それは使命じゃないんだよ。

例えば、美空ひばりは歌で人を喜ばせるという使命があった。

こういう人には歌が上手くて、美しい声を持たせてくれた。

音痴な人じゃできないからね。

この人は勘違いしていると思うよ。

使命と困難をごちゃ混ぜにしているの。

使命と困難は一緒じゃないよ。

俺が納税日本一になった時だって、苦労や困難なんてひとつもなかった。

神様が、一人さんの思いをみんなに伝えやすいように、「納税日本一」をさづけてくれたんです。

そのおかげで、本も出せて、たくさんの講演もできて、ファンも増えたの。

何事も「楽で、楽しくて、簡単」が一番なんです。


はなゑ


使命って、自分が楽しくなることだと思うの。

つまり、幸せになることなのです。

困難が襲ってくるならば、何かが間違っているということ。

困難が大きくなるって事は、違うほうに突き進んでいるって事です。

この困難は、使命ではありません。

それからね、何度も同じことが起こるなら、それは自分の魂がわざと起こしているんです。

もっと成長して幸せになるために。

これをうまく乗り越えた時、つまり何か気づきがあった時に、とんでもない幸せが起きるんです。

あなたは、何かを間違えている。

苦しいのは、間違っているというお知らせです。

人は楽しむために生まれてきているって事を伝えたいです。

 

斎藤一人さんの話を纏めました。

 

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