「どうしても許せないんです」
という人がいたとしても、いるんだから仕方ありません。
「嫌な奴がいる自分」を許すことです。
だって、あなたが「許せない」と思うんだから、
その人は本当に嫌な人に違いないんです。
嫌だと思っていい。
それを「いい人だと思おう」「良いところを探そう」
そう思うから、自分を否定することようになってしまうんです。
- 「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる
- 愛するとは何か
- 自分の絶対的な味方になることが、自分を愛するということ
- 「優」しいという字は、「憂」に「にんべん」の自分が寄り添うこと
- そして優しい人がいっぱい集まった時、やさしい勢いができてくる。これを「優勢」と言うんですね。
- お金の意味とは
- お金の修行は神的に言うと、たった二つだけ
- お金持ちになりたくなったら
- 人間の心の中には愛か恐れしかない。
「許せない人がいる自分」を許すと、人も許せるようになる
あなたはもう大人で、立派な人格なんだから自分を否定することはありません。
自分を許すことを学んでください。
誰だって、許せない人、嫌いな人の一人や二人はいる。
許せない人間がいる自分、未熟な自分を許してやると、相手に対しても「あいつも未熟なんだからしょうがないんだ」と寛容になれます。
何を言いたいのかと言うと、「許せない人がいる」と悩んでいる人は、「許せない人がいる自分を」許していないのです。
自分を許せば、人も許せるようになります。
愛するとは何か
人を愛するって、どんなことなんでしょう?
私の考えている愛は、相手のことを考えてあげることなんです。
自分のことしか考えないのはエゴです。
本当の愛は相手のことを考えてあげること。
でもそうするためには、自分のことを上手に愛せないとダメなんです。
人を愛するには、まず自分を愛することが先なんですね。
自分の絶対的な味方になることが、自分を愛するということ
じゃあどうやって自分を愛するのかと言うと、自分本位にわがままに動けってことじゃありません。
それだと、ただのエゴになってしまいます。
自分を愛するとは、自分の味方になってあげることです。
絶対的な味方になってあげる。
例えば嫌な上司が会社にいたとする。
普通だったら自分を責めてしまうかもしれません。
「ちゃんと仕事ができない自分がダメなんだ」
とか。
でもそういう時、自分を愛するためには自分の味方をしてあげるんです。
自分の心の中で自分に言ってあげる。
「本当に嫌な奴だね。わかるよ」
と。
他の人に分かってもらえなくていい。
自分にわかってもらえればいいんです。
「優」しいという字は、「憂」に「にんべん」の自分が寄り添うこと
自分を愛するとは、もっと簡単な言葉で言えば、自分に優しくすることなんです。
優しいという字をみましょう。
「憂」に「にんべん」が付いていますね?
憂えている人のそばに人が寄り添うのが「優しい」ということなんですが、その場合の寄り添う人は他人じゃなくて、自分なんです。
まずは自分に寄り添って、優しくする。
そうしないと、優しさがわからないんです。
自分が英語が得意でないと、人に英語を教えられないでしょ?
それと同じで、自分に優しくできないと、人にも優しくできません。
たとえ自分が人からずっといじめられてきたとしても、あるいは親から優しくされたことがなかったとしても、
「そうだったよね。つらかったよね。でも大丈夫だよ」
と自分に寄り添ってあげる。
そうやって自分に優しくしていると、次の答えが見つかるようになっています。
そういう仕組みなんです。
コンピューターはデータを打ち込めば、答えが出る仕組みになっています。
人間にも優しさを打ち込めば、答えが出るんです。
人が優しくしてくれないなら、まずは自分が自分に優しくすればいい。
そうすれば道は開けます。
人にも優しくできるんです。
そして優しい人がいっぱい集まった時、やさしい勢いができてくる。
これを「優勢」と言うんですね。
うちの会社は優しい人が集まっているから優勢なんです。
常に優勢を保っていられるのは、やさしい勢いがあるからです。
今まで憂えていた人間が、優しい人間に変わり、その優しい人間が集まった時、優勢な人間関係とか、優勢な組織ができあがる。
愛より強いものはない、というのはこの事を言っているんですね。
お金の意味とは
私たちが神様から与えられた最大の修行が、
「人間関係」と「お金の事」です。
お金についての修行は、だった二つだけです。
そのことを最後にちょっとだけお話ししますね。
お金の修行は神的に言うと、たった二つだけ
私たちが地球というこの星に生まれてきた最大の理由は「人間関係」と「お金のこと」の二つの修行をすることだと私は考えています。
これは私が勝手にそう思っているだけなので、信じなくても構いません。
私は未熟な人間なので、間違っていることがたくさんあるかもしれませんしね。
お金の修行は神的に言うと、たった二つだけなんです。
お金がなくても、くじけない。
お金があっても、威張らない。
この二つですが、「お金があっても、威張らない」ことはそんなに 難しくはありません。
ただ、「お金がなくても、いじけない」のは、かなり高度な修行です。
この二つが出来れば、魂は成長できますよ。
お金持ちになりたくなったら
もし、あなたがお金持ちになることで、魂が本当に成長すると思っているのなら、思いっきりお金持ちになることに挑戦してみてください。
きっと道が開けます。
ただ、我欲だけでお金持ちになりたいのだとしたら、相当な苦労を覚悟した方がいいですよ。
そこまで苦労して、お金を求めるよりも、心の豊かさを求める方が幸せな人がたくさんいます。
死んであの世に行った時は、お金持ちだったか、貧乏だったかは全く関係ありません。
あんなたがどういう風に生きたか、神様から聞かれるのはそれだけです。
ある時私は、こんなことに気がつきました。
人間の心の中には愛か恐れしかない。
人間が行うすべての行動は、愛から出発しているか、ほそれから出発しているか、究極、このどちらかに分けられるのだ、と。
そして、愛から出発したものは愛を呼ぶので、絶対に良い結果にしかならない。
でも恐れから出発したものは、同じことでも満足に行く結果にならないのだ、と。
この講演会があなたの生きる指針になってくれれば、私にとってもこれほどありがたいことはありません。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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