尊重というのは、簡単に言うと こういうことです。
「私とは違う考え だけど、あなたの考えもありだよね」
「あなたは、あなたの好きなようにすればいい」
「尊重」と「理解」は全く違う
円滑な人間関係には、共感が欠かせないと言われることがあります。
人の話に共感できることが、 コミュニケーションで大事だよって。
それはもちろん、 その通りだと思います。
「 相手の心の声を聞いて寄り添う」とお伝えしたように、 私も、
「共感」という愛の表れを大切にしています。
ただ・・・・・・ 実際に人付き合いをする中では、 うまくいかないこともあるよね。
特に、自分が好きでもない相手に共感するのは、誰にとっても難しいことです。
そうすると、共感できない相手とはどうか変わったらいいのかって話になるんだけど、 さっきと同じで「嫌な相手とは付き合わない」というのが一人さんの考え なの。
嫌な相手とまでは行かない場合でも、距離を取るのが一番です。
なぜかと言うと、ちょっとした違和感の段階で離れると、それ以上は相手を嫌いにならないでしょ?
嫌悪感に変わってしまう前に対処すれば、嫌いになること自体がなくなるんだよね。
人を嫌いになるのは、「なんとなく馬が合わない」という本心を無視して付き合い続けたり、「こんなことで人を遠ざけるのは悪い」とかって我慢したりするのは最大の原因です。
話の合わない相手に共感できないのは当たり前なのに、それを無理にやろうとするから嫌になる。
遅かれ早かれ 相手を嫌いになるし、 それでも我慢し続けると、憎しみにまで発展しちゃうんだよ。
人を憎むって、自分もすごく疲弊します。
心が憎しみに支配されちゃうと、負のオーラになって人生が地獄になるの。
そのことを、しっかり理解しておかなきゃいけない。
好きでもない相手なのに、「この人にもいいところがあるはず」
「 どっかに きっと 共感 ポイントがある」なんて、自分を追い込んじゃだめなんだ。
それともう1つ、 これも似た話なんだけど。
過去に、「人の話を聞いてると『そうじゃないのに』『私だったら・・・・・・・』 みたいな、
相手を否定する考えばかり 湧いてきて、 性格の悪い自分が嫌になります」
「 人を尊重できない自分の未熟さが苦しい」って悩んでいる人がいたんです。
実はこれ、 根本的な勘違いがあります。
何が間違っているのかと言うと、この人、「 尊重」と「理解」を混同しちゃってたの。
尊重と理解は同じ意味のようにとらえられがちだけど、 そうじゃないよ。
尊重というのは、 簡単に言うと こういうことです。
「 私とは違う考え だけど、あなたの考えもアリだよね」
「 あなたは、あなたの好きなようにすればいい」
相手の思いや意見が理解できなくても、こんな風に受け止められたら十分なの。
これが正しい 尊重であり、 自分の意見を曲げてまで 相手に合わせる の尊重ではありません。
自分に嘘をつく 必要はないし、「 それもいいじゃん」ぐらいの軽さで受け止めたらいいだけのこと。
相手の考えを無理に理解しなくていいし、 その代わり、 相手を否定することもしない。
それを、相手の意見に賛同しなきゃいけないと思い込んでいるから、心が反発して「そうじゃない」という思いが湧いてくるんです。
あなたの心があって、 あなたに認めてもらいたいんだよ。
なのに、自分の気持ちを封印し、 相手に合わせようとするからモヤモヤする。
試しに、 自分の意見はそれとして引っ込めず、相手の意見を
「へぇ~、私と違う考え だけど、それもいいね」って軽く聞いてごらん。
きっと、 心模様が随分違ってきますよ。
人の話を聞くって、そのこと自体、 相手の思いを聞いてあげよう、 伝えたいことを言わせてあげようって言う愛です。
その上、 相手が一番言いたいことをきちんと 拾い上げ、 その心に寄り添えたら、これ以上の愛はない。
で、 それができる 愛のある人は、 たとえ 相手の意見が 自分と違っていても、さらっと 尊重できるものだと思いますよ。
斎藤一人さんの話を纏めました。
皆様、いつもご精読ありがとうございます。
お世話になっております。
Youtubeのチャンネル登録よろしくお願いします。
我が儘勝手で申し開きもございません。
上記の赤色のボタンを押してくださいね。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。