方程式を見た時と同様、英語を見た時に、「これ、いらない」と私は思ったのです。
先生は「できない」と言います。
しかし、私は「いらない」と思ったのです。
英語も方程式もいらない
「面白くて、楽しくて、涼やか」に生きるコツを、ここで教えましょう。
「涼やかに生きなさい」と言われても、何が涼やかだかわからないことでしょう。
ここで一つのたとえ話をしたいと思います。
私は、実はカスタネットの天才なのかもしれないのです。
もちろん、根拠がなくて言っているわけではありません。
私が小学校の時に、クラス全員でカスタネットをやらされました。
才能のない人から、カスタネットをやめさせられて行きました。
トライアングルとか、他の楽器にまわされるのです。
それで、私だけ最後まで実はカスタネットだったのです。
だから、これはもしかしたら自分はカスタネットの凄い才能があって、先生が見抜いたのではないかと思います。
そんな事を小学生時代の私は、考えていたのですね。
次に、中学校の時、私は方程式をやらされました、でも、全くやる気が起きないのです。
やる気もないし、何のことだかわからない。
その時、先生が、「斉藤君は方程式ができない」と言ったのです。
ところが、その斉藤君(つまり私)は、方程式を一目見ただけで、「これはいらない」と思った。
そうしたら、社会に出てから一回も、方程式を使わないのです。
結局、私の方が正しかった。
これは、英語も同じです。
方程式を見た時と同様、英語を見た時に、「これ、いらない」と私は思ったのです。
先生は「できない」と言います。
しかし、私は「いらない」と思ったのです。
そうしたら、なんと、社会に出ても、英語を使うような外国との取引は一切ありません。
その上、外人の彼女もできませんでした。
人間というのは、少し見れば、それがいるかいないか、直感的にわかるのです。
いらないものを受け付けないという才能があるのです。
分かりますか?
そういう、色々な才能を私は持っていました。
車の教習所へ行った時も、落ちたことがあります。
しかし、S字型の次にすぐクランクになって、いきなり踏切が出てくるような教習所のような道を、私は未だに見たことがありません。
そんな道は、実際にはないのですから、自信をなくすことはありません。
私は仮免を取る時に、一度落ちたことがあります。
でも、同級生で、一度で受かる人もいっぱいいました。
そういう人は必ず、「お前、何度で受かった?」と聞きます。
あわよくば、自慢しようとします。
嫌な性格ですね。
私はそんなふうに聞いたり、自慢をしたりしません。
自分は一度落ちた方ですからね。
しかし、実際に社会に出ると、やっと受かった人は車の運転に注意深くなります。
また、免許を大事にします。
人の事をバカにしませんから、いい方に事が転がっていきます。
全力で不幸になっていませんか?
ふっと悲しい顔をするというのは、小さい時に何かで自信を失ったからです。
だけど、その自信を失った原因をよく思い出してください。
自信を失ったこと、できなかったことは、社会に出てから一度も使っていないことに気づくはずです。
必要でないものを、ただできなかっただけなのです。
なんて、いらないことをできないので、自信を失わなきゃいけないのでしょうか?
自信を失う必要なんてないのです。
学生時代のことを思い出してください。
自分がいじめられれば、自信を失うかもしれません。
でも、いじめられる人は、いじめている人より、よっぽどマシでしょう。
いじめる人が悪い。
それなのに、悪いやつの方が、自信を持っている。
そんなのおかしい。
私は駆け足は遅かったけれど、未だに人のことを追っかけたこともなければ、駆け足で逃げたこともありません。
駆け足が早いとか、遅いとか、人生に何も関係ないのです。
涼やかに生きるというのは、そういうこと。
必要でないものをやらなかっただけで、何か悪いのでしょうか。
自信を失うことがあるのでしょうか。
生きる上で必要なことであれば、みんな必ずできるようになるのです。
みんな、できることだけで生きているのです。
それなのに、「あの人、駆け足が遅くて」など、人から言われたって関係ありません。
私が猟師で、クマでも追っかけていれば話は違ったかもしれません。
猟師でない私が、駆け足が遅いからといって何も関係ないのです。
「僕だけカスタネットで」などと、小さな頃から泣き言を言ったって始まらないのです。
カスタネットから一歩出世してトライアングルを任せられたからって、30過ぎてもトライアングルを叩いてるわけにもいかないのです。
もう、ばかばかしいことで悩むのはやめましょう。
もっと、幸せに考えましょう。
そう言っても、不幸な人は、「でも」「でも、でも、でも」「でも、こうなのよ」と言うかもしれない。
そんなあなたは、全力を挙げて不幸になっているのです。
自分の持てる力を全部使って、不幸を追い求めているのです。
そんなことは、これからやめましょう。
もっと、自分のために、自分の心を使いましょう。
私は、よく講演会で、大勢の聴衆に向かって話をします。
思い返してみると、私は、小学校の時に、先生の言うことはあんまり聞かないから、先生の隣に座らされて授業を受けていました。
だから、常にたくさんいる人の方を向いて過ごしていた。
神様は、ちゃんと将来のことを知っているのです。
涼やかに生きるというのは、自分が自分のことを語って、楽しくて、人が聞いてまた楽しければ、涼やかなのです。
「あれができない」「これができない」ではありません。
「あれもいらない」「これもいらない」のです。
たったこれだけで生きられるのです。
私があんまり勉強をせず、学校に行かないものだから、うちの母はこう言いました。
「お前は学校向きじゃないから、社会に出たら出世するよ」と。
また、こうも言ってくれました。
「世の中、何にも向かない人なんかいないんだよ。
だから学校向きじゃないお前は社会向きだから、必ず出世するよ」と。
うちの母は、こんな言葉で育ててくれたのです。
本当に、いい母の元で育つことができて、私は嬉しく思っています。
「心の御柱」を立てよう
ここから、心の御柱という話をします。
「御柱」とは何かご存知でしょうか?
正確には、アメノミハシラ(天の御柱)といいます。
長野の諏訪大社の御柱祭りというのは有名です。
音柱は重さ12~13Tのモミの木で、これを人の力で山から落とすお祭りです。
特にこのお祭りを知らなくても結構です。
話を続けますね。
天(あめ)というのは、雨ではありません。
天を天(あめ)と言うのです。
天の御柱というのは、早い話、柱を立てることなのです。
柱を立てると、そこに神様が降りてきますよということなのです。
別に、この話を信じても、信じなくても構いません。
一応、そうなっています。
私が言いたいのは、みんなの心の中の御柱を立てようということです。
例えば、あなたが皿洗いを仕事としているとしましょう。
「つまらない仕事だな、時給はこれぽっちだ」と言いながら、お皿を洗っていたとしましょう。
皿洗いの仕事で、お皿に洗剤が少しくらいついていても気にしない人もいると思います。
ただ、これが自分の子供に使うお皿だったらどうでしょう。
それだったら、きちんと洗剤を流してもう少しきれいにすると思います。
もし、自分が使うお皿だったらどうでしょう。
それだったら、もう少し手間をかけて綺麗にすると思います。
お皿に少しだけ洗剤がついていたことは、あなたも知っているし、天も知っているのです。
あなたがお皿を雑に洗ったことをね。
人間は、自分のやっている仕事に使命感というものがあるのです。
使命感があれば、綺麗なお皿で食事をして欲しいと思うようになります。
コックさんなんかはその方が働きがいがあるし、お客さんも喜んでくれる。
例えば、あなたが車のスプリングを作っているとしましょう。
毎日、たくさん働いて、仕事が嫌になっているかもしれない。
でも、車のスプリングがないと、車は振動で壊れてしまいます。
そんな車に乗っていたら、お尻もおかしくなってしまいます。
そう考えれば、自分が車を守っているし、お客さんの命を守っているんだと思うようになる。
車を運転している人の命を守っているという使命感を持つと、なぜだかいいことばっかり起きるのです。
「私には、いいことが起きないんだ」という人は、この使命感を持っていないのです。
心の御柱が立っていない。
アンテナも立っていないので、「うちのテレビが映りが悪いのです」と言っても、当たり前です。
特に、この日本という国で生きていくには、しっかりとした御柱を立てないといけない。
仕事に使命感を持たずにやっていたら、うまくいくはずがないのです。
もしかしたら、日本だけではなく、アメリカでも同じことなのかもしれません。
自分の心の中に、しっかりとした御柱を立てましょう。
「私はこの仕事でこういうふうに使命感を持っています」と言えるようになってください。
どんな仕事にも、使命感はあるのです。
だから、使命感を持ちましょうね。
これで、心の御柱の話を終わります。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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