人生の主役も、脚本家も、あなた自身です。
誰に何と言われようが、主役の座も、脚本家の座も、明け渡してはいけないよ。
あなたの人生は、あなたが主役。脚本家紋あなたです
自分の人生は、自分が主役です。
あなたの人生なのに、あなたが脇役とか、あなたの他にも主役がいるとか、それはおかしいんです。
それから、自分の人生をどんなストーリーにするかも、自分が脚本家となって決めるものです。
自分が脚本を書いたドラマで、自分が主役を張る。
それが人生です。
人生が味気ないのは、それができてないんだよ。
人に主役を奪われている。
人の言いなりで自分のストーリーを演じてない。
それじゃあ面白くないのは当然です。
自分が主役として、人生という舞台を縦横無尽にかけまわってたら、たとえ困難が出てきたとしても楽しい。
ピリッとスパイスが効いた絶品カレーの如く、味わい深くてやみつきの人生になるはずなの。
それに、脚本家のあなたが「いろいろありながらも、必ず幸せになる物語だ」と決めてしまえば、起きることの全てを「これも通過点だ」と思える。
全部学びに変えて、明るく前を向いていけるのです。

我が人生の一里塚
人生には、うれしい出来事もあれば、二度と思い出したくないような出来事もあります。
「あの時、別の道を選んでいたら」
「あの人と出会わなければ」
そう思うこともあるでしょう。
だけど、人生を一本の長い道だと考えれば、過去に起きたことはすべて、「我が人生の一里塚」なんです。
一里塚とは、昔の街道に置かれた道しるべです。
旅人は一里塚を見るたびに、自分がどれだけ歩いてきたのかを知りました。
疲れて立ち止まることはあっても、一里塚に家を建てて、そこに一生住み続けるわけではありません。
人生も同じです。
つらかった出来事は、あなたの住む場所ではない。
そこは、あなたが通り過ぎてきた場所です。
悔しかったことも、裏切られたことも、思い通りにいかなかったことも、
「ここまで、よく歩いてきたな」
と振り返るための道しるべにすればいいんです。
人生の主役は、自分です。
そして、この先の物語を書く脚本家も自分です。
過去に誰かが勝手な台詞を書き込んだとしても、その人に最後の結末まで決めさせる必要はありません。
途中までどんな物語だったとしても、ここから先の脚本は自分で書き直せます。
「いろいろあった。でも最後には、私は幸せになった」
そう決めてしまえばいいんです。
すると、今までの苦労も、ただ苦しいだけの出来事ではなくなります。
物語に深みを与える場面になる。
人生を味わい深くする一章になる。
そして、次の一里塚へ向かうための力に変わります。
過去を美化する必要はありません。
許せないことを、無理に許す必要もありません。
ただ、過去に主役の座を明け渡さないことです。
「あの出来事があったから、私の人生は終わった」ではなく、
「あの出来事も、我が人生の一里塚だった」
そう言って、また自分の足で歩き出せばいい。
人生は、まだ続いています。
物語は、まだ完成していません。
これから笑う場面もある。
思いがけない出会いもある。
自分でも驚くような、新しい展開が待っているかもしれません。
今日という日も、いつか振り返れば一つの一里塚です。
だから焦らなくていい。
人と歩幅を比べなくていい。
自分の人生を、自分の速度で歩けばいいんです。
そして一里塚を越えるたびに、こう言えばいい。
「ここまで来た。よくやった」
「いろいろあったけれど、私はまだ主役を続けている」
我が人生の一里塚。
それは、苦労に縛られるための印ではありません。
自分が確かに今日まで生き抜き、これからも自分の物語を歩いていくための、誇らしい道しるべなのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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