いろんな種類の車があるのは当たり前。
それを不平等と呼ぶのは不思議です。
ベンツの人生、トラックの人生、そしてバイクの人生
どんな自分になりたいの?
何がやりたいの?
「分からない」「特に、やりたいものなんてない」という答えで、本当にいいのでしょうか。
だって、満たされない心があるんでしょう。
ということは、少なからず、「今の自分」 は「なりたい自分」ではない、ということじゃないですか。
考えてみてください。
どうして命を授かったのか、ということを。
あなたは、あなた自身の人生を歩むために授かった命です。
他人と同じ人生でないことを悩んでも、仕方がありません。
一人さんは、よくこんなことを言います。
「車にもいろんな種類があるだろう。
ベンツもあれば、トラックもあるし、バイクもある」
いろんな種類の車があるのは当たり前。
それを不平等と呼ぶのが不思議です。
種類が異なるものを同じ天秤にかけること自体が無理。
平等、不平等ではなく、いろんな人生があるだけです。
それよりも、あなたが、あなたの人生をどうしたら楽しめるかが一番大切。
あなたが、あなたのいろんな可能性に気づくために授かった命です。
あなたは、人を愛するために授かった命です。
あなたは、誰かから愛されるために授かった命です。
あなたが、命を輝かせるために授かった命です。
だったら、どうしたら、命が輝きを放つのか考えてみてください。
楽しんだ人が成功者。
今を楽しめない人は、今すら幸せじゃないんだから。
未来も幸せにはなれません。
楽しもうと思ったら、自分はどんな自分でありたいのか、何をしたいのかを、とことん追求してみることです。
とは言うものの。私は「社長になりたい」 と思って、商売を始めたわけではありませんでした。
ただ、働くのが好きで、好きでしょうがなかった。
それを追求してみたら、ここまで来てまったのです。
もともと、両親がとっても働き者ですから、私も、その「働き者」を受け継いだのでしょう。
高校を卒業して、父が経営する水産会社に事務員として就職して、それからずっと働き通し、休んだのはお産の時だけ。
子供を保育園に預けて、朝から夕方まで働きました。
子供たちに夕飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけてから、夜中に市場で働いて•••••••ということが1日おきにあった時期も ありました。
でも、昔の私は、働きたくて、働いているのに、なぜか心が満たされませんでした。
もちろん、結婚して、子供も欲しかったから、妻となり、子供も産みました。
それでも、どうしたことか、私は自分の人生に輝きを感じることができませんでした。
未熟児で生まれたせいもあってか、病弱な自分。
その自分から生まれた子供も、また病弱。
当然です、みかんの木にみかんの実しかならないのですから。
でも、当時の私は、そのことに気づかず、
病院で泣きわめく我が子を見て、私自身が
「泣きたい」と思うこともありました。
追伸 さらに磨きをかけながら神がくれたものを生かし切る
背の高い女性には、大抵、自分が背の高いことを気にしています。
「どうして、嫌なのかい?」と私が理由を聞くと、「私が好きになる男性が、自分より背が小さかったら肩身が狭い」とか、「体が男っぽく見えて、可愛らしい洋服や靴が似合わない」と言います。
そして、ぺたんこの靴を履いて、背中をかがめて歩いています。
背中を屈めて歩く姿は、少しもかっこよくないし、綺麗でもありません。
そんな女性に、私はこう言います。
「かかとの高いハイヒールを履いて、胸を張って、颯爽と歩いてごらん。
その方が、ずっとかっこいいし、綺麗に見えるよ。
それに、好きになった男が、自分より小さくても、気にすることなんてないよ。
だって、横になっちゃえば、背なんてわからないんだから」
最後の言葉は、私のジョークですが、背の高い女性は、背の高いことを隠そうとしてはいけません。
むしろ、10CMくらいのハイヒールを履いて、街を颯爽と歩いてみましょう。
背の高い女性が、カツカツとハイヒールを鳴らして、かっこよく歩く姿は、とても目立ちます。
みんなが羨望の眼差しを向けることでしょう。
背の小さい女性が、うんと高い靴は履いたところで、身長の高さは「平均的」になるだけです。
「普通」になったところで、ちっとも目立ちません。
それならば、小さいことを生かして、小さい身長の人しか着れないような可愛らしいデザインの服を選んだりするほうが、みんなの注目を浴びられるのです。
これが「神くれたものを生かしきる」ということです。
自分に備わっているものを、さらに磨きをかけて、目立つようにする。
コンプレックスやハンディが、磨きをかけることで、宝になるのです。
これは仕事にも言えることです。
私は生まれつき、体の弱い子供でした。
だから、体の弱い人の気持ちが、誰よりもわかります。
健康になることを追求して、ありとあらゆる健康法を試しました。
いろいろな健康法の本も読みました。
そして、その経験の全てを生かして作ったのが、「まるかん」という会社です。
私は自分が病弱であったこと、最大限に活かして、心と体の健康を追求する会社を作ったのです。
神様は、そのために私に「病気」というものをくれました。
それが神様のプレゼントだったのです。
神様のプレゼントは、最初はコンプレックスやハンディに見えることが多いものです。
例えば、神様は、最初から「梅干し」という食べ物を私たちにくれたのではありません。
梅の木になる「梅の実」は、酸っぱくて、誰も食べられなくて、最初はみんなが捨てていたものだったのです。
ところが、誰かが、「これは何か工夫したら、食べられるかもしれない」と思いついて、梅の実を拾ってきて、塩をまぶして、漬けたのです。
こうして、できたのが「梅干し」です。
いざ、「梅干し」ができると、それはみんなが欲しがるような食べ物になりました。
おにぎりやお茶漬け、おかゆには欠かせないし、お弁当に入れれば防腐効果もあります。
「梅干し」は、たちまち、みんなが必要とする国民食になったのです。
神様がそういう工夫をして欲しくて、「食べにくいもの」を私達に授けるのです。
神様が、あなたにくれたものは、何ですか?
それを最大限に生かそうとした時、神様があなたに「幸せな成功」というご褒美をくれるのです。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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