人間はいつだって、
不幸にもなれるけど、
幸せにもなれるよ。
さだめ
人間には誰でもさだめというものがある。
悲しい「さだめ」。
辛い「さだめ」。
いろんな「さだめ」を持って、人は生まれてくる。
だが、人間には、神が自由意志というものを与え、どんな「さだめ」も変えることができる力がある。
俺たちは、さだめに流されて、不幸なままでいることもできるんだよ。
だけど、さだめに流されないで、自分の人生を切り開いていくこともできる。
地獄に底なし、じゃあないけれど、不幸になろうと思えば、どんどん不幸になれるの。
逆に、幸せになれる人間は、際限なく幸せになれる。
その自由意志を与えられていること自体が、神の愛なの。

あなたのことは、全てお見通し
ひとりさん
やぁ、こんにちは。
愛弟子一同
こんにちは!!
一人さん
こんにちは、今日ははなゑちゃんと一緒だよ。
さあ、はなゑ先生、どうぞこちらへ。
はなゑ
ひとりさん、「先生」はやめてください。
一人さん
みんな、聞いてくれるかい。
この話をしなきゃいけないような気がしていて。
あのね、俺が「商人になろう」って決めた時にね。
商人の仕事は人に喜ばれて商売をすることなんだ、って思いながら、ずっと仕事をしていたんだよ。
実のことを言うと、俺は商人になってから「勝ち」か「大勝ち」しかないんだよね。
だから本業以外のことでは、俺、別に無理して勝たなくてもいいの。
だからよく、一人さんは講演会もできるし本も売れるし、いいですねって、言われるけど、俺自体は別にそれを特別のこととは思ってないの。
うまく言えないんだけど、講演会をやってもお客さんから会場費しかもらわないのは、俺が講演会で食べてるわけではないからなんだよな。
本業がうまくいって、それで食べているから、俺はずっと、本業の仕事をしていた人なんだよ。
たまに、「一人さんは人を集めて、宗教でも始めるの?」という人がいるけど、ほら、俺って、神様好きの宗教嫌いじゃない。
宗教を始める気なんかさらさらないし、第一、人を集める気すら、これっぽっちもない。
それで、俺はここへ来ても、みんなに影響を与えようというつもりはなくて、自分の話をしたいことを話ししているだけなの。
それでも、みんなは俺の話を聞きたくて、来てくれるんだよな。
だから、俺がここに来て話すのも、みんなが喜んでくれるからなんだよ。
俺はただ自分が楽しくて、みんなも楽しくて、空の上の神様が見ても喜ぶような、そんなことをやって楽しく生きていたい人なんだよ。
それが、どういうわけか、一人さんはすごい精神論者だ、みたいに思ってくれる人がいるんだよね。
いや、褒めてくれるのは、ありがたいんだよ。
だけど俺、立派に思われるのが、本当に嫌なんだよ。
だってさ、死んだおじいちゃんとか、おばあちゃんとか、おふくろとかさ。
親をなくしている人は、その親な。
それから、守護霊様とか、いつもみんなのことを見てる人がいるんだよ。
当然、俺のことを見ていてくれるあちらの世界の人たちがいるわけ。
だから、例えば、はなゑちゃんのおばあちゃんは、はなゑちゃんを見てる。
はなゑ
うん、絶対見てると思う。
一人さん
はなゑちゃんが死ぬと、おばあちゃんとかが迎えに来るんだよな。
みんなも死ぬと、親とか、縁のある人たちが迎えに来るんだよ。
そういう人たちは、いつも、俺たちを見ている。
だから、俺たちが何をやってるか、知ってるんだよ。
わかるかい?
愛弟子一同
???
一人さん
ほら、みんなにも人に知られたくないことがあるだろ。
誰だって山ほどあるよね、うん。
だけど、俺たちを守ってくれている守護霊様とか、おじいちゃん、おばあちゃん、そういう人達って、全部知ってるんだよな。
俺たちは、腹の中までバレちゃってんだよ。
隠そうとしたって、全部、お見通しなの。
だから、あんまりみっともないことやかっこ悪いことは、やんない方がいい。
どうせ、分かっちゃってんだから、そんな無理してかっこつけてもしょうがないしな。
何を言いたいかと言うとな。
俺ね、一人さんって人は、世間一般でいう精神論者と全然違うんだよってことなの。

「運命を越える力 ― 神がくれた自由意志という贈り物」
感想
今回の文章は、「定めはある。しかし、その定めに飲み込まれる必要はない」という強い希望のメッセージが中心にありますね。
特に印象的なのは、
「不幸になろうと思えばどんどん不幸になれる。逆に、幸せになれる人間は際限なく幸せになれる」
という部分です。
人生には確かに、生まれながらの環境や避けられない出来事があります。しかし、その出来事をどう受け止め、どう生きるかという「選択の力」は誰にも与えられている——その考え方が文章全体を貫いています。
また後半の、
「守ってくれている存在には腹の中まで見えている」
という話は、「立派に見せるより、正直に生きよう」という教えにも感じます。人に良く見られることより、自分自身に恥じない生き方を大切にする姿勢ですね。
そして、一人さんが語る、
「自分が楽しく、みんなも楽しく、空の上の神様も喜ぶように生きたい」
という考え方には、力みのない自然な優しさがあります。無理に誰かを変えようとしない。自分が楽しく誠実に生き、その姿が結果として周りを照らしていく——そんな温かさを感じる文章でした。
人生には辛い「さだめ」があっても、その先をどう歩くかは、自分の心が決められる。読む人に静かな勇気を与えてくれる内容だと思います。
斎藤一人さんの話を纏めました。
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