私、どうでもいい人と、いつも付き合ってるんです!!
それは、寂しいからです。一時的な穴埋めにはなります。
私、どうすれば良いんですか?
こんにちは、Greenです。今回は、少しだけ悩ましい話なんですが、補償行為ということで、もしかしたら、恋愛とか結婚生活で、悩みを抱えてる方にとっては、ふざけるのではないと、言われるような内容かもしれません。
補償行為
補償行為とは文字どおり、なにかを補おうとする、埋め合わそうとする行為です。...この奥さんに対して申し訳ない気持ちを埋め合わせる為に、奥さんの喜ぶ行為をしようとしたわけです。この行為が補償行為になります。
一つのうまくいかない理由は、補償行為をしていると、なかなかうまくいかないんです。
どうして恋愛や結婚に補償行為をしてしまうのですか?
背景が色々あるので、何とも言えないのですが、選んでも選んでも、パートナーには、本当に好きな人ではなくて、代理人のような人を選ぶんです。
どうして補償行為を、してしまうのかといえば、人それぞれ、細かい背景があるにしても、端的に言うのであれば、欠乏欲求なんです。
欠乏欲求というのがあって、欠乏欲求というのは、分かりやすく言えば、寂しいからです。
寂しいから、見捨てられるのではないか、自分は愛されていないということか、ベースにありますから。子供のうちだと、寂しいから、一緒に遊んでくれと言えます。
なかなか大人になれば、そういうことは言えないです。
直接的に言えないので、どのようなことをするかといえば、本当は寂しいんですと、言えば一番良いんです。
それが言えないので、自分を見てほしいから、寂しい自分を認めてほしいため、頑張るんです。
そういうめんどくさいことをするんです。いろんなことをしてあげたり、気を利かせてあげたり、それは何のためにするかといえば、見返りが欲しいんです。
これはいやらしい表現ですね。
見返りを求めるために、人のために犠牲になるんです。ということを、私たちは凄くするんですね。
私自身もたくさんしたんですね。ありとあらゆる場面でしてるんです。
学校の先生から、褒めてもらいたいために、大嫌いな科目を、一生懸命勉強したりするんです。
数え上げるときりがないんです。例えば、スキー場で好きな彼氏が、椎名林檎ちゃんのCDを買ったと聞けば、りんごちゃんを真似て、ナース服を着たりするんですね。
親に怒られながらもの、無理して髪型も真似て、ナース服を着て、喋る時は拡声器でしゃべるんです。
Greeさん、本当にしたんですか?
それが、どうかしたんですか!!
認めてくれるかなと思いながら、気づいてくれるかなと思いながら、残念なことに、お前、一体何してるんだと言われたり、色々傷つくことを言われるんです。
当たり前です。説得力がなくなります。
保証行為というのは、結局そういうことなんです。これは極端な例だったですが、認めてほしい。もっと私を承認してほしいということです。
自己承認欲求
嫌われる勇気というのが、メジャーになったので、聞いたことがあるかもしれませんが、いわゆる承認欲求ばっかり、取り上げられていて、どうかなとは思ってるんです。
本当は自己承認欲求という方が、自分で自分のことを好きになりたい、自分で自分のことを認めたいという欲求の方が、強かったりするんです。
他人から認められたいというのが、メジャーになっているので、他人から褒めて欲しいという欲求は、絶対にあると思うんです。
それを、本当はお父さんから認めて欲しいとか、本当はお母さんから認めて欲しいとか、そういう本質的な欲求があるのにも関わらず、それが何らかの理由で、認められないと感じてるんです。
諦める。あるいは抑圧するわけなんです。抑圧した結果、どうするかといえば、やっぱり認めて欲しいんです。
そういう欲求があるので、他の人にそれを求めるんです。他の人に求めるまでは、ギリギリ良いにしても、自分が本当の好きな人に、自分はあなたのことが大好きです。
それをすれば良いんですが、それもしないんです。
「何か違う」
それで何をするかといえば、本当は嫌いな人、大して興味がない人、たまたま、メロンさんのこと大好きなんですときたとすれば、「メロンさん、私と付き合ってください」と言われたとすれば、本当は、メロンちゃんはその人のことを、大して興味もないし、好きでもないんです。
その瞬間に「来た~」と思うんです。今まで私のことを、誰も認めてくれなかったのに、でもこの人は、私のことを好きだと言ってくれた。
「このチャンスを逃してなるものか」という感じなんです。今は極端な例を上げてるだけですから、失礼かもしれないですが、本当は好きでもない相手に対して、たまたま好きだと言ってくれたから、それだったら、メロンちゃんも付き合うということになって、恋愛関係がスタートするわけなんです。
スタートするまでは良いと思うんですが、案外良いなということも、当然あり得ますから、スタートした結果、何に気付くかといえば、「何か違う」ということに、気付くんです。
「何か違う」ということが、どんどん、積み重ねていって、どっかのタイミングで、やっぱり違うと思うんです。
でも今更、別れられないという別の問題が出てくるんです。補償行為というのは、こういうことです。
どうしてそういう行為を取るかといえば、一言で言うと、寂しいからです。
寂しい自分としっかりと向き合えば良いんですが、寂しい自分を、とりあえず何かで埋めようとするんです。
例えば、私は今日は、冷えたビールを飲みたかったんですが、たまたま冷蔵庫にそれがなくて、その代わりに冷酒を飲むんです。これも一つの補償行為なんです。
とりあえずそれで、満足するんです。気分がホッとするんです。でも違うんですね。
違うということに気付いた時に、少し面倒なんですが、コンビニに行ってきて、ビールを買えば良いんですが、人はめんどくさがり屋なので、冷酒で満足するんです。
なおかつ、人間は習慣の生き物なんです。明日も日本酒を飲む。明後日も日本酒を飲む。そうやってるうちに、日本酒を飲むという習慣が付くんです。
これが当たり前になるんです。しかし頭の片隅では、キンキンに冷えたビールを飲みたいという思いを、ず~っと引きずっているんです。
どっかで気づいた時には、めんどくさいことになるんです。さらに、付き合っている相手も、実は私に補償行為を求めてるんです。
お互いに悲惨なんです。
本当は、イケメンでスポーツ万能で賢くて、この人のことが大好きだと思っていても、自分なんかが告白しても、無理だと考えるんです。
だったら、あの人とは最近よく目が合うし、あの人であれば、告白しても大丈夫だと、思ってしまうんです。
とりあえず勇気を出して、告白したんです。そうすると相手も、自分でいいのみたいな感じで、付き合いが始まるんです。
きっかけはそれでいいと思うんです。そこからお互いのことを話し合いながら、なるほどと思いながら、好きになったりするんです。そういうこともあります。
きっかけとしては、補償行為は全然アリだと思ってるんです。しかしどこかで、本質的に認めて欲しい。
本当は自分の好みの人に認めて欲しいんです。本当はどこかで、この人と付き合いたかったという思いがあるので、それを何かで、うまく手放すんです。
現実と向き合って、違う人と付き合う決心をしたんだから、この人と楽しく過ごそうという決断を、すれば良いんですか、引きずってしまって、やっぱりおかしいと思い続けるんです。
でもこの人と別れてしまったら、私みたいな人とは、誰も付き合ってくれないので、しぶしぶ付き合ってるんです。
そういうことをしたりすれば、かなり面倒なことになるんです。
なぜこういうことをするかといえば、一時的な穴埋めなんです。きっかけがそれでも、良くなる場合があるんです。
補償行為は駄目だという解釈で、何にも手を出すことができないというふうに思うことはないんです。臆病になる必要もないんです。
補償行為はきっかけの一つとして、全く構わないと私自身は思っています。
出たとこ勝負です。何かしないと、物事は始まりません。
ただし、出たとこ勝負の決断をしたのであれば、一旦覚悟を決めて、その人と向き合ってみて欲しいんです。
それをして行けば、良い方に転ぶことが、たくさんあると思います。
最後に
私自身のことで恐縮ですが、補償行為で結婚をしました。しかし結婚した結果、私自身は大変幸せなんです。
結婚した時には、頭の片隅には、前の彼氏の事が多少ありました。私自身は本当に結婚して良かったと思っています。
なので、補償行為が悪いというのではなくて、補償行為に気付いた時に、もう一度考え直すんです。
そういうことをすれば、良いでしょうし、補償行為というのがあるというのを、知っておくだけで、自分は今この人に告白した方が良いのかな、この人と付き合うのが良いのかなという気づくきっかけになるんですね。
気づいた上で、この人で良いなら、それはそれで幸せだと思います。選択権がない状態で、しているのが良くないんですね。
いかがでしたでしょうか、選択肢の一つとして、本当に大丈夫なのかなと気づくきっかけとして、補償行為という知恵を持っているのが、私は良いと思っています。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。