私の上司や同僚に、笑うぐらい会話の中に学歴を誇示する人が いてるんですよ!!
人前で強がる人や、少しでもよく見せようと必死になる人は、優越コンプレックスを持っている人です。優越コンプレックスを持つ人は、一見強そうに見えますが、実際は自分の弱さやコンプレックスを隠すために見せかけているだけです。
こんにちはGreenです、今回は優越コンプレックスの正体と、その克服、そしてほんとうの強さを身につける方法について模索してみました。
優越コンプレックスとは、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ることです。 アドラーは、「もし自慢する人がいれば、それは劣等感を感じているに過ぎない」と述べています。
優越コンプレックスは劣等コンプレックスの裏返し
優越コンプレックスは、形を変えた劣等コンプレックスです。奥に隠れているのは全く同じ「劣等感」です。詳しい説明に入る前に、言葉の認識の共有化を図るために、心理学関連用語の説明をさせてください。
この記事に出てくる心理学関連用語の解説
劣等感
自分が他人に劣っていると感じること。劣後感(れつごかん)ともいいます。
劣等コンプレックス
劣等感が強い潜在意識となって正常な判断や行動の妨げとなったもの。
優越性
足がすごく早い、数学が天才的、など事実として他の人よりも優れている状態
優越感
実際の優劣には関係なく、自分の主観として優れていると感じる感情
優越コンプレックス
アドラー心理学では、この種の劣等感のことを「優越コンプレックス」と呼びます。 つまり、「ありのままの自分」を受け入れられず、他人より優れていることを誇示するという安直な手段によってしか自分の存在を認められない……。
優越コンプレックスを持っている人は、本当に強くなる努力をしない
優越コンプレックスを持っている人は、自分の奥にある劣等感を隠すために、必死で自分の優越を見せかけるだけで、本当に強くなる努力を全くしません。本当に自身がある人はわざわざそれを見せつけようとはしません。
優越コンプレックスを持っている人の特徴
- 外見ばかりにこだわる。
- 自慢する
- 弱い人に対して威張りちらす
- 人をばかにしたような態度をとる
- 人の話は聞かない
- 人を見下して批判する
- 大声でオーバーアクションをする
- 超能力など特殊能力にあこがれる
これらの一見強そうに見える行動は、本当に強いのではなく、弱い自分をかくして強く見せかけているだけです。優越コンプレックスは劣等感があることを素直にに認めないため、ある意味、劣等プレックスよりも問題があります。アドラー心理学では、劣等感は否定的には捉えていません、なぜなら夢や目標に向かうエネルギーになるからです。
でも優越コンプレックスは劣等感を隠して、直視しようとはしないので、劣等感のエネルギーを使うことが出来ないのです。優越コンプレックスを持つ人が、本当の幸福を掴むには優越コンプレックスを克服して、本当に強くなることしかありません。
優越コンプレックスを克服して、本当に強くなる方法
さて、優越コンプレックスを克服するには、どうしたらよいのでしょうか? 私はこれをアドラー心理学でアプローチしてみたいと思います。アドラー心理学では、「人は目的をもっていて、全ての行動は目的実現のために働く」という核となる理論があります。(目的論)では優越コンプレックスを持っている人の目的はなんでしょうか?
まず、もともとの原因は隠している劣等感にあります。劣等感のある人は自分に自信がない、自分で自分のことを認めることが出来ない状態になっているため、他者に認めてもらうことを渇望します。つまり、優越コンプレックスを持つ人の目的は「他者の承認」です。本当に強い人、自信のある人は他者の承認を必要としません。
そうなんです。まず根本的な問題は目的が間違っていることです。もう1つの問題は劣等感を否定的にとらえすぎていることです。そもそも劣等感は他者との比較から生じます。どんな優秀なひとでも劣等感はあります。アスリートでいえば、学校で足が速くても、地区大会では勝てません。
地区大会優勝でも全国大会では勝てません。オリンピック銅メダルのひとでも、金銀メダルの人に劣等感を持つでしょう。きりがない世界です。劣等感は隠すような恥ずべきものではないのです。あるがままの自分を認めて、劣等感を目的追及のためのエネルギーととらえればいいのです。
どうですか?これで劣等感の悪玉菌のイメージが善玉菌のイメージに変わればいいですね。それではまとめに入りますね。優越コンプレックスを克服するにはつぎのようなシンプルなアプローチでOKです。
- 目的を変える『他者の承認』から、『自己の承認』へ(自分がほんとうに強くなる)
- 劣等感の見かたを変える『恥ずべきもの』から『必要なもの』へ
- 新しい目的(自分がほんとうに強くなる)のために今から行動する
最後に
人間の性格は色んな要素の集合体です。実際のところ優越コンプレックスや劣等コンプレックスは大なり小なり、だれでも感じることです。実際、少しでも感じる所があって参考になれば嬉しいです。
(参考文献:kazuosite)
追記
刺激に敏感
人から注意されたり、指摘されたりすると、やけに落ち込んだりする人が、いてたりするんです。
次はこうした方がいい。
次はここのところを注意した方が良い。
その人のために良かれと思って、前向きな注意、アドバイスレベルだったとしても、注意された方は、これで自分がおしまいなんだと感じたりするんです。
やっぱり自分のことをわかってくれない。
すごい辱めを受けた。
こんな恥ずかしい思いをするのであれば、死んだ方がマシなんです。
そんなふうに考えてしまって、何もかもが嫌になってしまい、本当に人生の終わりだくらいに、落ち込んでしまって、陥ってしまう場合が、あったりするわけなんです。
私自身も三十歳過ぎぐらいまでは、死にたいまではいきませんが、周りから見れば、そんなことで落ち込まなくて良いでしょう。
そういうレベルだったんです。
しかし当の私は、本当に生きるか死ぬか、会社を辞めるか続けるか、そういう大問題だったりするわけなんです。
人から指摘されると、傷つくのが分かっていますから、それが怖いからこそ、誰からも指摘されないように、人一倍残業もして、いろんな勉強をして、仕事をしているふりをしています。
そうやって頑張るんですが、その反面、内心はビクビクしているんです。
いつか言われるのではないか、いつかバレるのではないか、おどおどしている自分がいて、苦しかったなと、今思い返すと、そんな気もしています。
これは単純に、劣等感が強すぎるからなんです。
強すぎるからなんですね。
それだからこそ、過剰に人から、常に自分にとっては、プラスになっているような話だったとしても、変な方向で過剰に反応してるんです。
反応するのはある程度分かるとしても、どうして、そこまで傷ついて落ち込んでしまうのか?
もうだめだと反応してしまうんです。
幼い頃、すごく小さなこと、今思えばどうでもいいようなことでも、親からチクチク責められるんですね。
場合によっては、殴る蹴るとか、そういうこともあったりするんです。
そういった経験が体に沁みついていますから、頭ではなく体に沁みついてしまってるんです。
例えば職場で上司の方から、責めてるわけではなく前向きな注意、された瞬間に、頭では分かってると思うんです。
頭では自分のことをこき下ろしてるわけではなく、ちゃんとした指導をしてくれているんだな。
頭ではわかっていても、体が反応してしまうんです。
体が、「やられた」という風に反応してしまうんです。
そういうことが起きていると思っています。
実際に何かあると、過剰に反応して、過剰に落ち込んでしまう。
そういう方によくよく話を聞いてみると、例えば家族の中で、形は家族なんですが、自分の居場所一度も感じられなかった人もいてるんです。
隔離状態的なそんな状態で暮らしていたとか、何かと親から拒絶されてしまう環境で育ってきたとか。
あるいは完全無欠な状態、ミスひとつ許されない状況とかです。
そういうことを過度に要求される状態です。
親の機嫌を損ねるようなことを瞬間に、親が暴力的なことをしてくるとか、あるいは無視するとか、激しく叱責するとかです。
人格を否定的な叱責をされてしまうとか、辱めを受けるとか、そこまで行かなかったにしても、やけに機嫌が悪くなるんです。
「申し訳ないな。親に迷惑かけてしまったな。」
そういうふうに思わせるくらい、激しく表情とか顔色に出してしまうんです。
そういう嫌な環境の中で生きてきた。
そういう経験のある方は、体に染みついているのではないかと思っています。
皆様、いつもご精読ありがとう御座います。
お手数ですが、遠慮なさらずに押して欲しいんです。